10 王太子様、馬車の中でサカる(10パーセント)

 がたん、と床が揺れた。
 そのせいで離れてしまった唇が、抱き寄せられてまた重なる。

 朝早くから、再びウィールライト王国への道のりを走り出した馬車の中だ。気持ちのいい春の晴天、外は明るいはずなのに、分厚いカーテンが閉め切られているせいで中は薄暗い。

 そのような空間で、メルヴィンの黒瞳(こくとう)はよりいっそう深さを増していた。

「フランセット……」

 口付けの合間に呼ばれる声は、甘く切ない。彼の思いがフランセットの心の中に直接触れてくるようだった。

 一方で、フランセットの方には呼び声に返事を返す余裕がない。最初は触れ合うだけだった口付けは、少しずつ深まっていく。後ろ頭を支えられ、熱い舌を差し入れられ、口腔内をじっくりと味わわれた。
 縮こまっていたフランセットのそれを絡め取られて擦りつけられると、喉の奥からぞくぞくとした熱がせり上がってくる。

「っ、ん、ん……っ」

 痺れる指先で、彼の上着をゆるくつかんだ。まるで縋るような仕草になってしまったことにあとで気づいて、手を引っ込めようとしたが、逃げようとしたとメルヴィンに勘違いされたのか、彼の腕の中にきつく抱き込められてしまう。

(逃げることなんて、もう、きっと、しないのに)

 メルヴィンの腕の力強さと、そして甘い囁きに、フランセットは抗えなくなっていた。

「好きだよ、フランセット……」

 メルヴィンは切なさにとろけるような目を薄く細めて、熱い吐息でフランセットに触れる。そんな風に告げられて、平常心でいられる方がおかしい。

 唇を再び塞がれながら、震える舌を絡め取られて彼の口腔内に誘い込まれた。歯先で甘く噛まれて、ぞくりと体の奥が痺れた。

「ァ……、っ、ん」

 フランセットの腰を抱きしめている彼の手が、ドレスに包まれた輪郭をなぞり上げる。それだけの触れ合いに、フランセットは直接素肌を辿られたような熱を覚えた。

 なぞり上げた手がさらに上がって、フランセットの胸のすぐ下で止まる。ふくらみには触れず、肋骨を辿るように、生地の上をゆっくりとてのひらが這った。

「っ、でん、か」

 なにかを焦らされるような感覚に、フランセットは上ずった声を漏らした。メルヴィンは彼女の唇を甘く食んで、熱に浮かされたような目で、フランセットを見下ろしてくる。

「あなたの方からキスをして、フランセット」

 甘く囁かれて、けれどフランセットは、体をこわばらせた。

(わたしの方から、って)

 心臓が暴れて、壊れてしまいそうだ。

(そんなこと)

 至近距離で見つめ合ったまま、フランセットは動けない。

 胸の下を這っていた手が、ふいに少し上に撫で上がった。コルセットとドレスに守られたふくらみの、その下の方を掬うように触れられた彼の指に、フランセットはびくんと肩を震わせる。

 昨夜、薄い夜着越しに沈み込んだ彼の手を思い出して、フランセットは息を詰めた。
 メルヴィンは、とろりとした熱を孕んだような双眸で、フランセットを見下ろしている。

(キスを、しないと)

 まるで、体を人質に取られた気分だった。実際にメルヴィンが、そのつもりなかどうかは分からないけれど。
 乳房の下の方を優しく撫でられて、フランセットは喉を震わせた。

「フランセット?」

 ――でも、やっぱりまだ、だめだ。

「メルヴィン殿下、わたし、まだ」

「あ、次の休憩場所に着いたみたいだね」

 勇気を出して「できない」と告げようとした時、実にあっさりとメルヴィンはフランセットの体を離した。

「……。へ?」

「ほら見てごらん、フランセット」

 メルヴィンがフランセット側のカーテンを豪快に引き開けた。眩しい光がフランセットの目に差し込んでくる。

 やや拍子抜けしながらも、フランセットは手をかざしつつ目を眇めて、メルヴィンに言われたとおりに窓の向こうを見る。
 それからフランセットは、息を呑んだ。

 太陽に煌めく広い広い銀と青。ゆったりとふくらみ、それから沈んで岸を波立たせるそれは、どこからどう見ても、

「海?!」

「そうだよフランセット。あなたはあまり海へ行ったことがないと聞いていたから、休憩はこの場所にしようと決めていたんだ」

「はい、海は小さい頃に一度行ったことがあるだけなんです」

 身を乗り出して、フランセットは窓の外を見た。背中からメルヴィンの腕が体に回って、ゆるく抱きしめられる。

「よかった。フランセットが嬉しそうだと、僕も嬉しい」

 どきんと胸が高鳴る。後ろから抱きしめられるのは、前からされるのよりも破壊力が大きかった。すっぽりと包み込まれているような気がしてしまう。
 フランセットは慌てながら、メルヴィンの腕の中で身を捩って、彼の方を向く。

「ええと、あの、どうしてわたしが海にあまり行ったことがないことをご存じなのですか?」

「フランセットはそんなこと気にしなくてもいいよ」

 頭のてっぺんにキスが落ちる。それから馬車が止まって、扉の向こうから侍従の声がして、王太子殿下のすさまじい情報網に関する秘密はうやむやになった。

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