11 義弟と幼なじみと

 お昼時になり、とある料亭に入った。夜は酒場になるという、比較的広い、賑やかな店だ。二階建てになっており、一階が料亭で、二階は宿泊施設らしい。

 フランセットは、勝手知ったるアレンについていき、席に座った。オーダーを取りにきたエプロン姿の少女に、ハムと卵のサンドイッチを注文する。アレンはポークステーキ定食でがっつりいくらしい。さすが十七歳男子である。
 アレンは、運ばれてきた肉の塊に豪快にナイフを入れつつ、話しかけてくる。

「でもさ、こうやって市井に降りて、民の様子を知っておくことは大事だよね。俺、定期的に兄貴に言われて報告書を上げてるんだけど、そこに書いておいた問題点が、しばらくしたら政治主導でちゃんと解決されてるんだ。そういう時はやっぱり嬉しくなるよ」

「そうなのね。やりがいがあるわね」

 フランセットは、ハムサンドを両手でつかんで口に運ぶ。パンは少し固いが、ハムはハーブと塩気の配分が絶妙で美味しい。

「この国の奴らは血気盛んだから、気に食わないことがあるとすぐに暴動だのストライキだの立てこもりだのをやらかすんだ。大抵はしょうもないことがきっかけなんだけど、とにかく気性が荒いから。明るくて気のいい人間が多いんだけどね。だから平和に治めるには、早期発見、早期解決が一番なんだよ」

「暴動なんて起こるの? しょっちゅう?」

「うん。王に直訴しにくるときもあるよ。もちろん門前払いするけど、どうしても収まらない時は、だいたい王太子が国王の名代として立つんだ。交渉役だね。王太子がいない時は第二王子かな。もしかしたらこの先、フランが矢面に立つこともあるかもしれない。女性も血気盛んなのが多いから」

「がんばるわ」

 フランセットは真剣な表情で意気込んだ。

「フランくらい冷静に話ができる妃なら、女性の直訴どころか男の暴動も、簡単に鎮めることができそうだね」

「必要があればやるわよ」

「ま、そのあたりは兄貴次第ってことで」

 食べ終えて、お水を飲んでいたところで、二つ隣のテーブルから「アレンー!」と呼び声が掛かった。また友達らしい。アレンと同じ年頃の男女一組である。アレンは笑顔で手を振りかえした。

「夫婦そろってランチ? 相変わらず仲いいね」

 アレンの言葉で、あの二人がカップルではなく夫婦だということを知る。
 妻の方が、素朴で愛らしい笑顔を見せた。

「アレンの方こそ、すごく綺麗な女の人と一緒じゃない。もしよかったらこっちのテーブル来ない? 彼女さんもいいですか?」

 にこにこした笑顔で誘われて、フランセットは思わずうなずいてしまった。頷いてから、重大な誤解に気付く。

(彼女さん?!)

 若いツバメを侍らせる悪い女に見られているようである。
 衝撃を受けるフランセットに、アレンがこっそり囁いた。

「面倒だから付き合ってる設定にしよ」

「……」

 フランセットは強張った面持ちのまま、若いツバメ(仮)とともに、夫婦のテーブルへ移った。
 夫婦は興味津々といった感じでフランセットを覗き込む。

「彼女さん、本当に美人だわ! アレンは素敵な恋人をゲットしたのね!」

「本当にこいつでいいんですか、お姉さん。アレン、チャラいでしょう?」

 夫婦がとっても楽しそうに話しかけてくる。フランセットは引き攣りそうになる頬をなんとか宥めて、微笑みを作った。

「い、いいえ。世の中にはもっととんでもなくチャラかったり病んでたりするような男性もいるから、まったく問題ないわ」

「わあー、なんだか世の中の酸いも甘いも知り尽くしてるような感じがするわ!」

「オトナって感じだよな。おまえも少しは見習えよ、アンナ。そそっかしいし、すぐ騙されそうになるし、この前だって俺が見ていないスキにナンパされそうになってるし」

「だってレックスがどっか行っちゃうから」

 アンナは頬を赤らめてむくれ始めた。その頬を、レックスが指でつつく。

「おまえの好物のバターケーキを見つけたから、買ってきてやろうと思ったんだろ」

「一言いってくれればいいのに」

「アンナの喜ぶ顔を早く見たかったんだよ」

「もう、レックスったら」

 フランセットは、おや、と思った。若夫婦は、少しずつ二人だけの世界に入ってイチャイチャし始める。
 アレンが横目で夫婦を見ながら、フランセットに耳打ちしてきた。

「こいつらすぐイチャイチャし出すんだよ。若奥さんの可愛げってやつの勉強になると思うから、観察しておいたら?」

 フランセットは、それからしばらく彼らと歓談した後、アレンとともに店をあとにした。
 結論から言えば、新婚夫婦の振る舞いはとても勉強になった。彼らは友達のようにぽんぽん会話を弾ませながらも、甘ったるい言葉と視線で二人だけの世界にどっぷり浸かっていた。

(お嫁さん、可愛かったなぁ……)

 可愛げの権化とは、まさにあのことを言うのだろう。
 アレンが言っていたことに、深く頷ける。綺麗な宝石やドレスに身を包んでいなくても、彼女はキラキラしてとっても愛らしいのだ。

 馬を取りに戻るために往来を歩きながら、フランセットは考えに耽っていた。隣ではアレンがのんきな様子で歩を進めている。

(彼女が可愛らしいのは、きっとあの目つきが効いているのよね)

 あの目がすべてを物語っていた。あんなふうに、水分多めのうるうるした目で見つめられたら、男はイチコロだろう。「あなたが好きです、大好きです」というひたむきな想いがこめられまくっているからだ。

(あのうるうるした目を習得しないと……)

 けれど、あの目つきは難易度が相当高そうだ。懊悩しつつ歩いていたら、前から来た人とうっかりぶつかってしまった。

「きゃっ」

「申し訳ない!」

 後ろに倒れこむかと思ったところを、伸ばされた腕に支えられた。正面からぶつかってしまったのは、同い年くらいの青年であった。
 青年と顔を見合わせた時、フランセットはびっくりして言葉を失った。それは彼も同様のようで、目を丸くしてこちらを凝視している。

「フランセッ――フラン、大丈夫?!」

 横から、アレンの慌てたような声が割り入った。フランセットの手を取って、青年の腕の中から助け出そうとする。
 けれどフランセットは動かずに、青年と見つめ合っていた。

「おいどうしたんだよ、フラン――」

「もしかして、クリストフ?!」

「やはり、姫君ですか?!」

 直後、フランセットは青年――クリストフと、両手を取り合って飛び上がらんばかりに喜んだ。

「ああ、本当にクリストフなのね! 信じられない、どうしてウィールライトにいるの?!」

「姫様こそ、なぜ城下に! まさかもう一度お会いできる日がくるとは、夢にも思いませんでした……!」

 クリストフは感極まった表情で、フランセットを見つめ返してくる。最後に会った時よりも大人びた彼を見上げて、フランセットはなつかしさで胸がいっぱいになった。

 彼の名は、クリストフ=ヴァリエ。フランセットより二つ年上の、二十七歳になる青年である。やわらかな栗色の髪と、透きとおるような空色の瞳。精悍な面差しには、芯の通った優しさが垣間見える。引き締まった体躯は、もしかしたらメルヴィンよりも大きいかもしれない。

 クリストフは、ロジェ王家の近衛隊に代々所属する家柄の青年だ。歳の近いフランセットとは、小さいころから一緒に遊んだ幼なじみ同士である。

『姫様。俺は王家の近衛です。姫様がロジェ王室をお離れになるその時まで、この剣でずっと、姫様をお守りします』

 昔から真面目だったクリストフは、真摯な瞳でフランセットを見つめながら、よくそう言っていたものだ。