26 殿下のターン(その1)

 情事のなごりで、ぼーっとしながらフランセットは温室を出た。あいかわらず右手はメルヴィンに優しくつながれている。
 温室で、ずいぶんと長い時間をすごしてしまっていたらしい。太陽の位置を見ると、もう昼をすぎているようだ。

 メルヴィンの魔法のおかげで、疲れは体に残っていない。けれど甘ったるいけだるさはまだとれていなかった。

「ねえ、ひとつ聞いてもいい?」

 ふいにメルヴィンが口をひらいた。フランセットは彼を見上げる。

「はい、なんですか?」

「六歳のとき、僕はあなたにひとめぼれをしたわけだけど、フランセットはどうして僕に初恋を?」

 メルヴィンはまたしても、恥ずかしいことを恥ずかしげもなく聞いてきた。口もとには純粋そうな笑みさえ浮かべている。
 フランセットは口ごもりつつも、しかたなく答えた。

「それは……ええと。いまさら話すのもどうかと思うのですけれど」

「恥ずかしがらないで、フランセット。僕が聞きたいだけだし、僕しか聞いている人はいないよ」

「花を毎日、贈ってくださったことがやっぱり胸にきました。不覚にもだんだんときめいてしまって……」

「そうだったんだ。よかった。毎朝あなたのことを想って花を選んでいたんだよ」

 メルヴィンはうれしそうに笑う。その笑顔がまぶしくて、フランセットはついみとれてしまった。
 だから、次の言葉が口をついて出てしまった。

「それに、六歳のころのメルヴィンさまは、相当なまいきでしたけど、それ以上に天使みたいにかわいかったですから」

「なまいきなのにかわいかったから、好きになってくれたの? 女心は複雑なんだね。六歳のころの自分に拍手を送りたいよ」

「よく考えてみれば、十一歳のお姉さんに初対面でプロポーズする六歳男児というのは、相当マセていますよね」

「それだけあなたが魅力的だったからだよ」

 甘いキスが頬に落ちる。
 フランセットは赤面しながらも、いまの幸せを噛みしめたのだった。

 この夜フランセットは、ネグリジェに着替えながら思った。

(ここ数日間、かわいさを求めて研究してきたけど、結論から言えば、メルヴィン殿下に敵う気がしないわ)

 これはもう、すっぱりとあきらめよう。
 なんだかメルヴィンからは、とくにそっち方面を求められているわけではないような気がしてきたし。

(ああでも、エスターから教わった言葉を殿下にお伝えするのを忘れてしまっていたわ)

 日を改めて、最後の総仕上げに、あの言葉だけは伝えることにしよう。
 すっきりした気持ちでフランセットはそう決めた。

第五章

 翌日のことである。
 メルヴィンは、「たまには剣の鍛錬につきあってくれないかな」と言ってエスターとアレンを中庭へ誘った。

 軽く打ち合って汗を流したあと、三人並んでベンチに腰を下ろした。メイドが運んできた冷たいレモネードを飲みつつ、エスターがタオルで首のあせを拭う。

「まったく、野生児のアレンを相手にすると、体がいくつあっても足りないな」

「エスターは訓練サボりすぎ。女と遊んでばかりいるからだよ」

 アレンは脚を組みつつあきれた顔になる。メルヴィンは苦笑した。

「このなかではアレンがいちばん若いんだから、おまえに体力があって当然だよ」

「若いっていっても、ふたつかみっつしか変わらないじゃん」

「そんなことより、ふたりとも。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

 メイドに目配せをしてこの場を下がらせて、メルヴィンは弟たちに告げた。ふたりは動きをとめたあとに、メルヴィンを見る。

「ああ、いいよ。なんだいメルヴィン」

「えっ、俺なんにもしてないよ? 悪いことなんて、なんにもしてないって」

「別にお説教をしようと思っているわけじゃないよ、アレン。ここ数日、おまえたちがフランセットとこそこそ話しあっているのを見ていたから、いったいなんの話題で盛り上がってるんだろうってふしぎに思っていたんだ」

 なるほどとうなずきながら、エスターはアレンを見る。

「アレン。おまえはフランセットと話しあうどころか、街に出てひと騒動起こしていたしな」

「やっぱり説教じゃん……」

「フランセットが、そのことについてとっても悩んでいるみたいに見えたから、夫としてどうしても気になって。なにを話していたのか、教えてくれないかな」

 エスターは肩をすくめた。

「話したいのは山々だけれど、フランセットとの信頼関係が崩れてしまう可能性があるから、内緒話の内容は話せないよ」

「やっぱりエスターは口が固いな。アレン、おまえは?」

「俺は……俺も、話さないからな」

 言いながら、アレンはメルヴィンから目をそらした。こちらは揺さぶれば吐きそうだが、それをするのもかわいそうだ。
 メルヴィンは、レモネードを口に含んだ。春の風が心地いい。

「わかった。じゃあ、僕の考えが正しいかどうかだけ教えてもらえる? 合っているか合っていないか、首をふって示してくれればそれでいいから」

 アレンは迷うようにエスターをうかがった。エスターは首をかしげる。

「そうだな、その折衷案なら受け入れよう」

「ありがとう。じゃあストレートにいうけれど、フランセットはかわいくなりたくて悩んでるの?」

 アレンは片脚を引き上げて、あさってのほうを向いている。エスターは苦笑いをにじませた。

「いや、メルヴィン。その言いかたは、身もふたもなさすぎる」

「うーん、じゃあ、女性らしいやわらかさを身につけたいとか」

「まあ、そんなところだ。おおかた、いとこのアレット嬢からよけいなことを吹き込まれたのだろうね」

「ああ、そういえば最近遊びに来ていたっけ」

 メルヴィンは、首にかけたタオルを引き抜きながらくすくすと笑った。

「いろいろと腑に落ちたよ。フランセットはおもしろいことを考えるなぁ」

「確かに。義姉上は、しっかりしているのに、たまに考えかたが独特だ」

「そこがまたかわいいところなんだけどね」

「あのさ、メルヴィン」

 それまで黙り込んでいたアレンが、口を挟んだ。

「なに、アレン?」

「こういう話は、俺たちにじゃなくてフランセットに直接聞けばいいんじゃないの? うまいこと言って聞き出すの、得意でしょ?」

「そんなこともないけれど。フランセットの様子を見ていたら、どうやらこの件については、彼女のなかで決着がついたみたいだったからね。ずっと悩み顔だったのが、すっきり晴れた表情になったんだ。だから、いまさら掘り返すのも申し訳ないかなと思って」

「ああ、解決したのか。ということは、自分にはそういう方面の能力はとくに必要ないという結論に達したのかな」

「あんまり僕の奥さんをからかうなよ、エスター」

 メルヴィンが口端で笑みながら立ち上がった。

「じゃあ僕はこれから街に出かけてくるから、昼の会議はエスターに任せてもいいかな」

「それはかまわないけれど、どこへ行くんだい?」

 メルヴィンは、訓練用の剣を腰のベルトに差しつつ答えた。

「フランセットの幼なじみに会いに」