「ええ、そうです。メルヴィンさまはクリストフとふたりきりでお話しされたそうですね。きっとそのときに、考えを改めたのだと思います。殿下は、そういうお力をお持ちですから。ひとびとの心をつかむ誠実さというか、そういうところをフランセットはとても敬愛しております」
「そうか……あの話しあいで折れたのか。思ったよりもチョロかったな。だったらもうすこし早く手を打っておいてもよかったかもしれないな……」
フランセットが頬を赤らめつつ想いを語る一方で、メルヴィンはなにやらぶつぶつとつぶやいている。
「メルヴィンさま?」
「あっ、なに、フランセット」
メルヴィンは、すみやかに笑顔に戻った。
「じつはわたし、ここ最近ずっと思い悩んでいたことがあるのです」
「そうなんだ。どんなこと?」
メルヴィンは、いとしげなまなざしで見つめてきながら、フランセットの頬に手を伸ばす。あたたかいてのひらに頬をすりよせながら、フランセットは告げた。
「以前アレットに、わたしはかわいげがないと言われてしまいました。そんなふうではいつかメルヴィンさまからのご寵愛を失ってしまうと。だからわたしは不安になってしまって、なんとかしてかわいくなろうと思ったのです」
「フランセットはそのままで充分かわいいよ」
とろけるような笑顔でメルヴィンは言う。やはり、かわいさで夫に勝てる日は永遠に来ないだろうとフランセットは確信した。
「エスターやアレンにも相談に乗ってもらって、いろいろとがんばってみたのですが、どうにも難しくて。そうこうしている内に、剣士団の事件や、クリストフのことがあって、わたしのなかでたくさんの学びがありました」
「フランセットは真面目だなぁ」
「それでですね、さまざまな状況を考察したのちに、結論が出たのです!」
意気ごむフランセットに、メルヴィンはうれしそうに先をうながす。
「うんうん、その結論って?」
「目力です!」
フランセットは、まさに両目をきらきらさせながら告げた。メルヴィンは一拍置いたあと、「なるほど!」とうなずいた。
「強い目力で相手を怯ませて、こちらの意を汲んでもらうということだね。なんとなくわかるよ」
「えっ……パートナーを怯ませてどうするんですか……」
「あ、そうか。夫婦間での話だったね。ごめんごめん、早とちりしてたよ」
「いったいどんな想定をしていたのですか。ところで話を戻しますと、いわゆる目力というのはですね――」
「ああ、待ってフランセット。目を閉じて」
フランセットの解説をさえぎって、メルヴィンの指がフランセットのほうに伸びた。とっさに目をつむると、彼の指がまぶたにそっとふれて、離れていく。
「まつげがついてたんだ。目に入っちゃうと痛いからね」
優しい声とともに、指先で髪を梳かれる。ふいうちをされて、フランセットは頬を赤らめた。
「話の腰を折ってしまってごめんね。続きを教えて?」
「え、ええと……その」
「フランセット? ――ああ」
ごく近い距離で、メルヴィンの整った面差しが甘くほころんだ。
「照れてるの? かわいい」
「か、かわいくなんか――、そもそも、わたしは、かわいさではなく目力を極めようとしてですね」
「うん」
フランセットの目じりに、メルヴィンのキスがちゅっと落ちた。さらに赤くなる耳にくちびるをよせるようにして、メルヴィンはフランセットを抱きよせる。
「メ、メルヴィンさま?」
「うん、聞いてるよ。教えて、フランセット」
「あの、でも、この状態だとお互いの目が見えないので、目力について話すのにふさわしくないと思うのですが」
たくましい腕のなかに閉じこめられて、フランセットは弱い抵抗をもぞもぞと示した。けれどメルヴィンには、フランセットを放すつもりはぜんぜんないようだ。
「ごめんねフランセット。あなたの声を聞いたり、表情やしぐさを見つめていると、あんまりかわいいからつい抱きしめたくなってしまうんだ。でも、こんなことじゃだめだね。ちゃんとあなたの話を聞かないと」
「あ、あ、あ、あのですね、つまりその、夫婦間に効果のある目力はですね、『あなたのことが大好きです』という想いがあふれているのがひとめでわかるような、キラキラした目のことをいうんです」
フランセットは、胸をドキドキさせながらもなんとか説明を言いきった。フランセットを抱きしめながら、メルヴィンは「そうなんだ」と、やわらかな髪に鼻先をうずめる。
「うん、わかるよ。だってフランセットが僕を見る瞳は、いつもキラキラしてかわいいもの」
「えっ、わたしできていますか? かわいげのある目力を使えていますか?」
「うん、ばっちり使えてるよ。効果てきめんだよ。効果がありすぎてどうしよう。フランセットの髪は、いい匂いがするなぁ」
「やだ、ちょっと、くんくんしないでください」
くすぐったくて、笑いながら身をよじると、メルヴィンもまた笑った。
「ねえ、フランセット。また城下へいっしょに遊びにいこうね。たくさんデートしよう。それで、たくさん話をしよう。僕はあなたの話をもっと聞きたいよ。フランセットのことをわかっているつもりでも、あなたは一秒ごとに新しいことを見て、感じて、そのたびに変わっていくんだ。だから僕は、そういうあなたをぜんぶ知りたい」
「メルヴィンさま……」
フランセットの胸がじんと熱くなる。
「わたしも知りたいです。メルヴィンさまの話をたくさん聞きたいです。だから、なんでも話してください。どんなに小さなことでもかまわないですから、思ったことや感じたことを、教えてください」
「ありがとう、フランセット」
きれいな面差しに甘いほほ笑みを浮かべて、メルヴィンはフランセットの頬にふれた。
「大好きだよ、フランセット。ずっといっしょにいようね」
「もちろんです。わたしもメルヴィンさまが大好きです。――あ、そうだわ」
ふと、フランセットはエスターの言葉を思いだした。メルヴィンにぜひ伝えてみて欲しいと言われた言葉があるのだ。
「あの、メルヴィンさま。さっそく聞いていただきたいことがあるのですが、いいですか?」
「うん、なに?」
幸せそうに目を細めるメルヴィンに、フランセットは告げた。
「わたしは、初めて会ったときからずっと、メルヴィンさまのすべてを世界でいちばん愛しています」
「……」
メルヴィンは、無言になってフランセットを見つめてきた。その間がやけに長かったものだから、フランセットはなんとなく不安になってきた。
(たしかに恥ずかしい言葉だけれど、でも普段からおなじようなことをメルヴィンさまから言われ続けているんだし……。特別おかしな言葉ではないわよね。でも、なんなのかしらこの沈黙は)
たっぷり一分ほど経ったのち、やっとメルヴィンが口をひらいた。
「僕のことを? 初めて会ったときからずっと?」
「はい。わたし、メルヴィンさまが初恋だって打ち明けましたよね」
「うん。覚えてるけど、でもそんなに前からだとは思っていなくて」
「意識していたのは本当です。だって、ものすごくかわいい男の子だったんですもの。話すことも、印象に残っていました。たぶんあのときから、惹かれていたんだと思います」
「そうなんだ……」
メルヴィンはつぶやいて、それからしばらく沈黙した。よく見ると、頬が赤くなっているような気がする。
「メルヴィンさま、もしかして照れています? 温室でお話ししてたときみたいに……」
「いや、だって。あの当時、僕はあなたにあっさり袖にされて、落ちこんでいたから。フランセットにふさわしい男になろうと思って、それから十四年かけて努力したんだよ」
「そうなのですか? あ、だからこの言葉を伝えるようにエスターが教えてくれたのかしら」
うっかり口をすべらせてしまって、メルヴィンの目つきが不穏になる。
「ふうん。エスターに言われたことをそのまま言っただけなんだ」
「で、でも、本心ですよ。まごうことなき本心です」
「ほんとかなぁ」
「本当です」
フランセットが、必死の形相で訴えると、メルヴィンは肩をすくめた。
「じゃあ、そのあとの言葉もちゃんと本心? フランセットは、僕の全部を好きでいてくれているの?」
「もちろんです! 女に二言はありません!」
「僕は、思ったことがすぐ顔にでるし、独占欲が強いし、初恋をこじらせてどうにもならなくなってるけど、それでもぜんぶ好きでいてくれるの?」
それを聞いて、フランセットはなぜか胸がきゅんとしてしまった。
「もちろんです。大好きです。そんなことを言うメルヴィンさまは、とってもかわいいです」
心から力説するフランセットに、メルヴィンは顔をしかめた。
「理由はよくわからないけど、いま、ちょっとくやしくなったな」
「えっ、どうしてですか?」
「完全にフランセットに負けた気がした……。ああでも、あなたにはいつも負けっぱなしだから、それでもいいや」
言いながら、メルヴィンはぎゅっとフランセットを抱きしめる。たくましい両腕に囲われて、フランセットの胸が高鳴った。
「僕も、あなたに初めてあったときから、あなたの全部に惹かれたんだ。愛してる、フランセット……」
メルヴィンの指があごにかかる。上向けられて、くちびるがやわらかく重なった。
ウィールライト王太子夫妻は、今日もなかよしで幸せいっぱいだ。
第二部 おしまい