エスターが調達してきたドレスは、それはそれは可愛らしいものだった。
寝室の更衣室でそれに着替えて、見上げるほどに大きな鏡を前に、フランセットは引きつった笑みを浮かべる。
サイズは、フランセット用にあつらえたかのようにぴったりだ。
「乙女ドレスふたたび、といった感じね」
襟ぐりには桜色のレースがあしらわれ、そこに通されたベルベットのリボンもまたピンク色である。生地はやわらかなクリーム色で、正面に並んだボタンはこげ茶色、腰をきゅっと縛るリボンももちろんピンク色だ。スカート部分はふわりと広がるデザインで、くるぶし丈だった。豪華絢爛な舞踏会用ドレスというよりは、日傘を差して公園をのんびり散歩するのにぴったりの、愛らしい衣装である。
エスターは、髪飾りとネックレス、ショートブーツまで抜かりなく用意してくれていた。恐るべきことにガーターベルトまである。当然のごとく下着一式も完備だ。
あの秀麗な顔で、「人形用のドレスを貸してくれないか。上から下まで、下着全部に至るまですべて必要なんだ」などと、友人の女性にのたまったのだろうか。友人は反応にさぞ困ったに違いない。
とはいえ、エスターには感謝してもしきれない。リボンを体に巻きつけただけの心もとなさといったらなかったのだ。彼は、替えのドレスと下着、そしてネグリジェまで用意してくれた。その上、人形サイズの椅子とテーブル、食器類なども持ってきてくれた。
『ドールハウスごと持って行こうかとも思ったのだが、友人が本格的に危ぶみ始めたからやめておいたよ』
と、エスターは言っていた。正しい判断だったとフランセットは思う。
琥珀の首飾りをつけ、髪はハーフアップにして花飾りで留めた。準備完了だ。
更衣室から寝室に出ると(ひとりでは扉を開けられないので、開きっぱなしにしていた)、ソファに腰かけてメルヴィンが待っていた。ロロの籠をテーブルに置いて、柵に指を入れて毛並みをを撫でていたようだ。
一人と一匹はこちらを見た。そして、同時に目を見開いた。「お待たせしました。さあ、行きましょうか」とフランセットは言ったのだが、数秒待っても反応がない。
どうしたんだろうと思っていると、メルヴィンはふいに、口もとを手で覆った。
「か……可愛い……!!」
感極まった声をメルヴィンが発すると、籠の中のロロも、心なしか目をキラキラさせながらよろめいた。そういえば、ロロもオスであった。
「チチー……!!」
「僕の奥さんが可愛すぎて、どうにかなってしまいそうだ。いますぐに両腕で力いっぱい抱きしめたい……!」
「やめてください、つぶれてしまいます」
「あなたは本当に罪な女性だね、フランセット。普段は凛として美しく、夜はみだらなのに純情で、そして手乗りサイズになったら凶悪的に可愛いだなんて、到底許されないよ。世の中の男全員が、あなたに有罪の烙印を押すよ。フランセットを捕まえて投獄しようとする。夫として、僕はあなたを護らなくちゃ」
メルヴィンは真剣な顔をしているが、彼がなにを言っているのかフランセットにはさっぱりわからなかった。
やがて、正気をとり戻した様子の夫は、咳払いをしつつフランセットにてのひらを差し出す。
「おかしなことを口走ってしまってごめんね、フランセット」
「気にしないでください。わたしがこんな姿になってしまったので、メルヴィンさまはまだ混乱の中にいるんですよ」
メルヴィンのてのひらに乗り、フランセットは腰を下ろす。メルヴィンはそっと立ち上がった。
「混乱というか、早くもとの姿に戻してあげたいという気持ちでいっぱいだよ。レイスには腰を据えて話をしなくちゃ。それに――」
メルヴィンはこちらをちらりと見下ろした。フランセットは、落ちないようにするためにてのひらにぺたりと座りこんでいる。
目が合うと、メルヴィンは困り果てたようなため息をついた。
「どうしたのですか、メルヴィンさま?」
「いや。自分の中に倒錯的な傾向があるとは思ってもみなかったから、戸惑っているだけだよ。気にしないで、フランセット」
「倒錯的?」
「どうしても抱きしめたいのにそうできない相手が愛しくて、そのジレンマに体の芯がぞくぞくするんだ」
「はあ。さっぱりわからないです」
「もちろんそれは、心の底から僕があなたを愛しているからだよ」
恋情に染めあがった熱い瞳に見つめられる。この上なく純粋なまなざしはフランセットの頬を赤くさせたが、夫が倒錯的な道に吸い寄せられてしまうのは、どう考えてもまずい。
フランセットは、王妃の務めとばかりに夫にお説教を開始した。
「ウィールライト王国の王太子として、すべての国民のお手本になるべく、メルヴィンさまは人として正しい道を歩むべきです。だからこそ、社会的な規範を逸脱するような行為は控えるべきです」
「うん、もちろんわかっているよフランセット。ところであなたがもとに戻って状況が落ち着いたら、人形師に頼んであなたそっくりの人形を作らせてもいいかな」
「チー! チチー!!」
「……。どうしてロロまで興奮しているの?」
ウィールライト王国に生息する男どもは、まことに理解しがたい存在である。メルヴィンは、ハンカチの敷いてある胸ポケットの中にフランセットをそっと入れた。
「誤解しないでフランセット、いまのは冗談だよ。だって、僕が大好きなのは人形のあなたじゃないもの。生身のフランセットじゃないと意味がないんだ。さあ、出かけようか」
「はい。では行ってくるわね、ロロ。いい子で待っていてね」
ロロがさびしそうに鳴く。柵越しにメルヴィンがひと撫でしてから、庭園にある厩へ足を向けた。