30 ロロット一家

 同時時刻、王太子宮では大事件が勃発していた。
 中和薬をフィーリアから受けとり、メルヴィンが馬をエントランス前に止めたとき、アレンとレイスが玄関から飛び出してきた。

「どうしたの、アレン。それにレイス、おまえもここに来ていたの?」

「め、メルヴィン!」

「メルヴィン兄さま……!」

 ふたりの兄弟はすっかり気が動転している様子である。メルヴィンは首を傾げつつ、馬から下りた。

「おまえたちがそんなに慌てているなんて珍しいね。ところでフランセットはどうしているの? まさか、室内にひとりきりで置いてきているわけじゃないよね?」

「あ、え、えーと。それが、ちょっとヤバい事態になってて」

 アレンがしどろもどろに言う。となりで、顔を青くしたレイスが口早に説明した。

「ごめんなさい、メルヴィン兄さん。僕たちが少しだけ目を離した隙に、姉さまが部屋から姿を消してしまったんです」

 メルヴィンは愕然と目を見開いた。レイスは続ける。

「籠の中にいたはずのロロもいっしょにいなくなっていたから、もしかしたら姉さまは、ロロに攫われたんじゃないかと思って、庭に捜しに出たんです。ロロットは家族思いの動物です。姉さまはロロに自分の家族だと認識されていました。だから、自分の巣に姉さまを連れて行ってしまったんじゃないかと」

「ごめん、メルヴィン。フランセットにレイスが飲ませた薬について、俺たちは激しい口論をしてしまったんだ」

「ロロットは、そのせいであの室内を危険地帯だとみなした可能性があります。危険な場所から遠ざけようとして、籠を揺らして絨毯に落とし扉を開け、姉さまを――」

「ロロットが巣を作る場所の特定は?」

 メルヴィンは、上着を脱ぎ捨てながら聞いた。レイスは答える。

「大木の下、茂みの奥の、やわらかな土の中を好む習性があります。体が小さくなっているのと、土中であるために、魔法で気配を探ることが困難です」

「使用人をかき集めろ。手分けして全力で捜す」

 メルヴィンの声に、弟たちは速やかに従った。

 フランセットは、薄暗い穴の中にいた。

 王太子宮の庭園の隅に生えていた大木の根の、茂みに覆われたやわらかな土の中に、ロロの家はあった。地中深くに穴を掘り、入り口を枝や葉で隠した作りになっていて、意外にも広い。

 どれだけ広いかというと、ロロとフランセットのほかに、ロロットが六匹いても問題のない広さということだ。

 家族の多さにフランセットは慄いた。ロロよりもちょっとだけ大きな体をしたロロットが二匹と、そして小さな体をしたのが四匹。フランセットより小さなロロットもいる。赤ちゃんかもしれない。

 ロロットたちはフランセットとロロを歓迎しているようだった。大きな体をした二匹が、ロロと体をすり寄せあい、それからロロは、小さいロロットたちとじゃれ合うように戯れた。ロロットたちはフランセットにも、慈しみのこもった感じで鼻先を体にすり寄せてくる。フランセットは戸惑いつつも、やわらかな毛並みを撫でて親愛の情を返した。

(大きい二匹のロロットは、ロロの両親かしら。そして小さいものはロロの弟や妹たちね)

 レイスから以前、ロロットは家族思いの動物だと聞いたことがある。そして、一生懸命に子供を育てる種族だとも。

 籠から抜け出したロロットに突然咥えられて、ここに連れてこられたときはどうなることかと思ったが、あたたかい地中でのロロット一家の様子は、フランセットにとって心温まるものだった。

(ロロがこのまま家族のもとに帰るのであれば、それに越したことはないわ)

 ロロのとの別れはさびしいが、ロロにとってはこれがいちばんいい形だろう。フランセットは心の中で「さよなら、ロロ」とつぶやいたのち、穴の入り口を見上げた。

 入り口は高いところにあったが、そこに続くまでの道の傾斜はゆるやかなため、なんとか自力で到達できそうだ。気合いを入れて、フランセットがその坂道を登ろうとしたときだった。

「チー!」

 行く手を阻むようにロロがフランセットの前に現れた。フランセットはびっくりして「そこをどいてちょうだい」とロロに頼んだが、ロロは頑として動かない。どうやらフランセットに出て行ってほしくないようだ。

(ロロはわたしを家族として認識しているから、出ていってほしくないのね)

 フランセットは困ってしまった。自分は人間で、ロロットではないので、当然だがここでの生活はできない。それに、いつまでも宮に戻らなかったらアレンやレイスに心配を掛けてしまう。メルヴィンの帰宅に間に合わないという最悪の事態も考えられる。

「ロロ、わたしはお家に帰らなければならないの。ロロはここでご家族といっしょに幸せに暮らしていて」

「チー、チー!」

 ロロはますます強硬になるばかりで、道を譲ろうとしてくれない。そればかりか、ロロの両親や弟妹たちがやってきて、フランセットを取り囲んでくる。

(どうやってもわたしを出さない気ね)

 フランセットはため息をついた。
 ここでむりやり通ろうとして、ロロを興奮させるのは悪手だろう。フランセットが部屋から消えたことはアレンやレイスがすぐに勘づいて捜索を開始してくれるだろうし、そこまで危機的な状況であるとは言えない。

(アレンたちに見つけてもらう前に雨が降ったら、すぐに解決することだもの。そのときはロロのお家を壊してしまうことになるけれど……)

 申し訳ないが、どうしようもないことである。残りの問題は、もとの姿に戻ったときにフランセットが真っ裸であるということだ。そのときの対処法を、頭をフル回転させて考えていると、巣の奥の方から弱々しい鳴き声が聞こえてきた。

 瞬間、ロロットたち全員がそちらのほうを見た。体の大きな二匹のロロットが、慌てるようにしてそこに駆けつけていく。弟妹もそれに続いたので、不思議に思ったフランセットも足を向けてみた。

 そこにはひと際体の小さなロロットが、よろけるようにしてモゾモゾしていた。両親のうち、体の小さいほう――おそらく母親だろう――が、鼻先をくっつけて様子を見ている。

(あのロロットはまだ赤ちゃんなのかしら)

 よく見てみると、赤ちゃんロロットの毛並みは硬くボサボサになっていて、ところどころに禿げがあり、皮膚が露出している。小さな耳も、片方が失われていた。

 生まれつきこの状態なのか、天敵に襲われた結果のことなのか判断しかねるが、この赤ちゃんが健康的な体を持っているとは言い難いだろう。兄弟ロロットたちも、心配そうに赤ちゃんを見守っている様子だ。

 赤ちゃんがチーと弱々しく鳴いた。母親が慈しむように寄り添う。
 父親が、餌の木の実を持ってくる。ロロも動いて、防寒のためだろうか、ふわふわした枯れ草を咥えて赤ちゃんの周りにはこんだ。ほかの兄弟たちも、それぞれが赤ちゃんのために動き始める。

 その光景を見て、フランセットは胸を打たれた。

(ロロットは、一生懸命子育てをする動物――)

 ロロットは草食動物であり、また、肉食動物から襲われる被捕食者でもある。この赤ちゃんのように弱々しい対象は、真っ先に獲物にされてしまう可能性が高い。

 そういった場合、たいていの草食動物は、自身の子どもをあきらめる場合が多い。厳しい自然界の中で、弱い個体が狙われるのは仕方のないことだからだ。それについて、良し悪しはない。

 しかしロロットは違うようだった。弱い子どもを全力で守ろうとしているように見える。

 フランセットの胸が熱くなった。ロロットたちが赤ん坊にかかりきりになっているいまなら、入り口から外へ出られるかもしれない。けれど、考えるよりも先にフランセットは動いていた。

 赤ちゃんのところに藁を敷きつめているロロを手伝い、父親が持ってくる木の実の硬い殻を割ってやわらかいところを赤ちゃんに食べさせた。赤ちゃんは、弱々しい声で「チー」と鳴いた。お礼を言ってくれたということがわかった。

(可愛い)

 フランセットはほほ笑んで、赤ちゃんの硬い毛を撫でた。

 お世話をしなければならないのは、この赤ちゃんだけではなかった。ロロの弟妹たちはやんちゃ盛りで、なおかつ自分のことが充分にできないのだ。

 父親とロロが外から運んでくる木の実や葉っぱを、食べやすい大きさにしてフランセットは弟妹たちに与えた。母親は、子どもたちの毛を舐めて毛づくろいをしてあげている。

 あたたかい穴の中は、入り口から入ってくる細い光だけが光源だ。薄暗いけれど、フランセットにとって居心地が良かった。この巣穴自体がまるでゆりかごのようだと感じた。

 そうこうしているうちに、なんと夕方になってしまった。上から降り注ぐ光が赤くなっている。
 さすがにメルヴィンは王太子宮に戻っている頃だろう。ものすごく心配を掛けているに違いない。

 ロロットたちは早寝なのか、身を寄せ合って眠る準備をし始めているようだった。母親は、例の赤ちゃんを抱き込むようにして丸まっている。そして、優しいまなざしを向けながら、硬い毛を舐めていた。

(本当に……とても可愛がっているのね)

 ロロットの親子愛に、フランセットは感慨深いものを持った。

(わたしはお世継ぎを授かりたいとずっと言っていたけれど、本当の意味をわかっていなかったのかもしれないわ)

 いまさらながらに気づいた。
 フランセットはずっと、「世継ぎがほしい」と言ってきた。
 それは間違っていたのだ。
 世継ぎではない。我が子を腕に抱きたいのだ。
 メルヴィンと、幸せな家庭をつくり、人生をともにすごしていきたいのだ。。
 寄り添い合う親子の神々しい温かさを見つめながら、フランセットはそのことに気づいた。

『僕は王妃に溺愛されていた。彼女が産んだ、この国唯一の、王太子だったからだ。僕は、彼女の王妃としての一生の、象徴だった』

 結婚したばかりのときにメルヴィンが告げた言葉がよみがえり、フランセットは口もとをてのひらで押さえる。

 メルヴィンは母親から『世継ぎ』として存在を認められていた。
 そうとしか、認められていなかった。

『僕も――子どもはほしい』
『あなたとのあいだに子ができたら、夢のように幸せだろうと思っていた。いまでもそう思っているよ』

 涙で視界が歪む。
 メルヴィンに会いたいと思った。抱きしめたいと思った。

(あの人は、ずっと泣いていたんだわ)

 苦しんできたのだ。十年以上ずっと。

 フランセットは涙を拭った。そして、夕日が差し込む入り口を見上げた。いますぐ帰ろう。ロロの家族はここにいる。そしてフランセットの家族は、きっと、必死になってフランセットを探している。

 緩斜面に両手をつき、登ろうとしたそのときだった。背後でロロットたちが、警戒するような鳴き声を鋭く上げた。
 それがフランセットを止めるためのものではないということは、すぐにわかった。

 入り口を覆っていた枯葉が、カサカサと音を立てながらどかされていく。そして、シューという不気味な音とともに、入り口から入りこんできたのは、禍々しい目をした一匹の蛇だった。