「おはよーフランセット。昨日はそのあとどうだった?」
「義姉が浮気していたと、聞き捨てならないことを弟から聞いたのでね。真相を確かめにきたよ、フランセット」
「扉をあける前にひとこと名乗ってください!」
フランセットの抗議をものともせず、ふたりの義弟――エスターとアレンはずかずかと入ってきて、正面のソファにどかりと腰を下ろした。
「で、昨日はクリストフからどんな愛の告白をされたの? ちゅーされちゃったりした?」
「ア、アレン! 人聞きの悪いこと言わないでちょうだい」
「おや、アレンとずいぶん親しくなったようだね。よかったらフランセット、俺にもふつうの言葉遣いでせっしてもらえないかな。義理とはいえ姉弟間で敬語ばかりだと、距離があるようでさみしいからね。それで、クリストフとやらはきみへのいとしさを、どれほど情熱的な表現でささやいたのかな?」
「どうしてここまで話がだだもれになってるのよ、この兄弟は……!」
フランセットは頭を抱えた。アレンは、フランセットの朝食であるところのサンドイッチをつまみつつ、軽い口調で言う。
「フランセットのことは複数の目で監視しておかないと、とんでもないことをしでかすっていうのが、俺とエスターの共通認識。言うなればあんたの自業自得でしょ」
「……う」
「フランセットの場合は、むちゃなことをするための筋がきちんと通っているところが問題なのだよ。そのせいで、生半可な抑止力ではきみを止めることができない。メルヴィンのように、有無を言わせぬ力で抑えつけるか、もしくはこのように、事前に情報を収集しておいて動きを封じる。このどちらかが、きみに対しては有効だ」
「人を問題動物のように言わないでもらえる?」
フランセットはため息をついた。言葉遣いは、エスターの要望通り敬語をとっぱらっている。
エスターは、これまたフランセットの朝ごはんである焼きトマトをフォークにさし、口に入れた。この男、人の食べ物をとっておいて非常に優雅な所作である。
「さて、本題に入ろうか。実際のところ、クリストフとはどうなんだい?」
「どうにもなっていないわ。クリストフは、他国に嫁いだわたしを心配してくれているだけ。浮気なんてしていないわよ」
クリストフの個人的な感情を、このふたりにばらすわけにはいかない。フランセットの良心がゆるさない。
「クリストフには、困ったときにはいつでも力になると言ってもらっただけ。もともと、ロジェ王家の近衛だったもの。昔とおなじような声掛けをしてもらっただけよ」
「あなたのことは、この俺がお守りしますって?」
サンドイッチを食べ終えて、アレンは皮肉げに笑いながら言ってきた。フランセットはせきばらいをする。
「そ、そんなことも言っていたかしら。あまり覚えていないわ」
「もと近衛の貴公子か。叶わぬ想いだとわかっています、でも言わずにはいられませんでした。あなたが好きです。くらいは言ってのけそうだな」
この兄弟は、ろくでもないことにばかり頭がまわる。
「でもフランセットはばか真面目だから、そういう必死な男の告白をばっさり切って捨てたんでしょ?」
「わたしは夫を愛しています、というせりふを真正面からぶつけて、幼なじみの一途な恋心をこっぱみじんに粉砕か。俺は、そういうすがすがしい女性はきらいじゃないよ」
「はいはい、どうもありがとう!」
フランセットは半ばやけくそになって紅茶をがぶ飲みし、またせきこんでハンカチを使うはめに陥った。
(ごめんなさい、クリストフ)
アレンに目撃されたのが運の尽きだ。しかしそもそも、人の多い公園で、しかも夫がとなりにいる場面で「ふたりきりで話がしたい」と言ってのけるクリストフの、空気の読めなさのせいでもあると思いたい。
(でも、きちんとわたしの想いは伝えたのだし……これ以上彼と関わりを持つことは、もう避けたほうがいいのだわ)
クリストフの気持ちはうれしかった。けれど、フランセットにはもうメルヴィンがいる。
アレンはエスターに視線を向けた。
「じゃあ、これで一件落着ってこと?」
「どうかな。そもそもフランセットには、美人が最低限持つべき警戒心がないからね」
せきこみつつハンカチで口もとを拭いているフランセットのとなりに、エスターが突然腰を下ろしてきた。
「ほら、熱い飲み物をいきなり飲むからだよ。大丈夫かい、フランセット?」
メルヴィンによく似たいい声で、ごく間近からささやかれて、フランセットの鼓動が跳ね上がった。
「だ、大丈夫だから。もうちょっと離れてくれないかしら」
「きみのハンカチ、ずいぶんと濡れているじゃないか。ほら、貸してごらん。俺のものを代わりに使って」
エスターの長い指がフランセットの指にふれて、そっとハンカチをとられる。突然のふれあいにぎょっとしていると、エスターの所持品である灰色のハンカチで、やわらかくくちびるを拭われた。
「じ、自分で拭けるから……っ」
「それは失礼。さあ、きれいになったよフランセット」
エスターは、メルヴィンによく似た漆黒の瞳を甘くゆるませて、フランセットを見つめた。つややかな声でささやく。
「では、今度は俺の指で直接きみにふれても?」
「?!?!?!」
フランセットは混乱しすぎて、声をだすことすらできなくなってしまった。すると、正面からあきれたような声がかかる。
「あー、こりゃだめだ。だめすぎるよフランセット」
「だ、だめ? わたしがだめなの?」
混乱しつつも、両腕をつっぱってエスターを遠ざけて、フランセットはアレンに尋ねた。
「この場合、わたしじゃなくてエスターが悪いんじゃないの?」
「エスターみたいな、規格外にどすけべな女ったらしがとなりに座ってきた時点で、フランセットは素早く立ち上がって部屋から出て衛兵を呼ばなくちゃ」
「そこまでしなくちゃだめなの?」
フランセットが眉をよせると、アレンはしたり顔でうなずいた。
「そのままぺろっと食べられちゃうよ」
「エスター、あなた最低ね……」
「人妻から冷たい目でののしられるとぞくぞくするね」
「俺、自分に恋人ができたら絶対にエスターには会わせないって心に決めてる」
エスターは、長い脚を組みつつ整った笑みを浮かべた。
「それで、フランセット。メルヴィンの心をつなぎとめるためのかわいらしさというのは手に入ったのかな?」
唐突に話題を変えてくるのは、ウィールライト王家の血筋なのだろうか。フランセットは図らずも慣らされてしまっているので、すぐに反応した。
「うーん、それがね。なかなかむずかしいのよ」
「人間あきらめが肝心だよ。フランセットはたくましい方面を伸ばしていったらいいんじゃない? あ、ウインナーもらってもいい?」
「どうぞ。ここ何日か、エスターに話を聞いたり、アレンに街へ連れていってもらったりして、自分でもいろいろと観察して考えてみたの。その結果、かわいげというものは、総じてあの目つきのことを言うのではないかなと思えてきたのよ」
「あの目つきってどんな目つき?」
ウインナーをもぐもぐしながらアレンが聞く。
「あなたのことが大好きです、という目よ。恋人を信頼しきっていて、かつ、向こうからも信じられて愛されているとわかっている目。ああいう目で恋人を見つめているときの女の子は、ほんとうにかわいいの」
「へー」
「なるほどね、興味深いな。女性のかわいらしさにはそういう面もあるかもしれないね。まあ女性はなにをどいうしていても愛らしい存在ではあるから、そこまで深く考えなくてもいいと思うけれど」
軽い調子で言いながらエスターは、ベイクドビーンズの皿を持ち上げた。フランセットは、このままでは朝食をすべて食べられてしまうと感じとり、焼きベーコンだけは死守した。
「わたしのなかにも、おなじような感情はあるはずなんだけど。どうしてかわいげが出ないのかしら」
「むずかしく考えすぎなんじゃない? 一度メルヴィンに聞いてみなよ、わたしってかわいい? って。速攻で返事かえってくると思うよ」
「いや、逆に気をもたせてみるのも一興だよ。そっけなくしてみるという手をとってみたらどうかな」
兄弟は適当なことばかり言ってくる。けれど、メルヴィンにもっとも近しいふたりの意見だ。聞いておいたほうがいいかもしれない。
「でもさエスター、そっけなくしてみるのは危険だよ。諸刃の剣ってやつじゃない?」
「そのほうが燃えるじゃないか。俺は、好きな女性にそっけなくされるとどこまでも追いつめてしまいたくなるけれど、メルヴィンもそういうタイプではないかな」
「性格悪ー……」
「ええと、ではつまり、アレンの言うように、素直にメルヴィンさまに尋ねてみたほうがいいかもしれないということよね」
そっけなくした結果、メルヴィンからどこまでも追いつめられたらと思うと怖すぎる。
すこし残念そうにしながらも、エスターはうなずいた。
「堅実なフランセットらしい選択肢だね。いいと思うよ」
「ただ、アレンの言うように、わたしってかわいい? なんていう聞きかたは恥ずかしすぎてできそうにないのだけど……」
想像しただけでのたうちまわりたくなる。メルヴィンのこたえが「かわいいんじゃないかな?」とかいう当たり障りのないものだったりしたら目も当てられないだろう。
「それならば、俺が教えてあげるよ。いまから言うせりふを、そのまま伝えてみてごらん」
「エスターが考えたセリフじゃないとだめなの?」
フランセットが警戒すると、アレンは慎重に意見をした。
「やめたほうがいいよ、フランセット。このうえなく卑猥な言葉を言わされるよ」
「そうよね、わたしもそう思う」
「こらこら。恋愛経験に乏しいきみたちがなにを言う。フランセットは、俺のそっけなくするという提案よりもアレンの案を選んだのだから、次はこちらの顔を立ててくれてもいいんじゃないか?」
そう言われてしまうと、フランセットは反論しづらい。
「……わかったわ。とりあえず、どんなせりふか聞かせてもらえるかしら」
エスターが教えてくれたセリフは、卑猥でもなんでもなく、ちょっとがんばればなんとか言えそうなものだった。フランセットはほっとする。
「これなら言えると思うわ。ありがとう、エスター」
しかし、せりふを聞いていたアレンはぎょっしたような表情になる。
「えっ、これ言えちゃうの?」
「ちょっと恥ずかしいけれど、言えなくはないと思うわ」
「いや、ちょっとどころかかなり恥ずかしいでしょ。もしかして、こういうの日常的に言いあってるの?」
「どうだったかしら。近いことは言っているかもしれないわ」
そのとき扉がノックされて、メルヴィンのフランセットを呼ぶ声が聞こえてきた。
「フランセット、いる? ひと区切りついたから、いっしょに庭を散歩したいなと思って」
「あ、はい。行きたいです!」
フランセットは立ち上がって扉をあけた。その先にいたメルヴィンは、アレンとエスターの姿を見て目を丸くする。
「どうしたの、みんなして」
「やあメルヴィン、おはよう」
「姉弟どうしで朝食会をひらいてたんだよ。ね、フランセット」
「こちらの兄弟に、わたしの朝ごはんをあらかた食べられました」
「ふうん……。じゃあフランセット、行こうか」
メルヴィンは、ふしぎそうにしながらもフランセットの手をとって、「お腹すいてない?」と聞いてくる。大丈夫ですと答えながら、フランセットは彼とともに書斎を出た。
一方で、室内に残されたふたりは、しばらくののちに顔を見合わせた。
「なあ、エスター」
「ん?」
「フランセットさぁ、あのセリフがためらいなく言えるなら、かわいげがあるかないかで悩むなんてあほらしくない?」
「それがあの夫婦のおもしろいところなんじゃないか」
エスターは、残りのサンドイッチを口に入れながら肩をすくめた。