リヴィエラを見送って、寝室に戻ったところで、メルヴィンのポケットからフランセットは出された。メルヴィンはフランセットをベッドに下ろして、それから自分もとなりに腰を下ろすベッド脇にはロロの籠があって、鼻を引くかせながら「チー」と鳴いた。
彼は、クラヴァットをゆるめつつ吐息をもらしている。フランセットは気遣いつつ尋ねた。
「もう夜になりますし、レイスを訪ねるのは明日にしましょうか。今日は夕食をとったあと、ゆっくりお湯につかってからぐっすり眠りましょう」
「いや、あなたをその姿のままでいさせるわけにはいかないよ」
「わたしなら大丈夫です。小さいままだと確かに不便ですけれど、原因と対策はわかっているわけだから、不安はないですよ」
フランセットが明るく言うと、メルヴィンはほほ笑んだ。いつものおだやかなほほ笑みというよりは、泣いてしまう直前のような表情だった。
「あなたは優しいね」
「メルヴィンさまこそ」
「いまの状態でいることは、フランセットにとってとてもつらいことでしょう? あなたは無力な自分を許せない人だから」
メルヴィンの指が伸びて、フランセットの頬を撫でた。
「あなたはここにいてくれるだけでいいんだということを伝えるために、どれだけ言葉を尽くせばいいんだろう」
漆黒の双眸は、深い愛情とそして痛みを内包しているようだった。
フランセットは、メルヴィンの指先に手をふれて、そっと口づけた。
「ちゃんと伝わっています。わかっていますよ。無力な状態の自分が嫌なのは、性格です。メルヴィンさまもご存知のとおり、矯正することがとっても難しい性格です」
「そうだね。その性格も大好きだけど、そのせいで僕は胃薬をいつも持ち歩く羽目になるんだ」
メルヴィンは身をかがめて、フランセットの頭のてっぺんにキスをした。
「ありがとう、フランセット。レイスの家には明日の朝いちばんに行こうか。正直、いまの自分の顔を弟に見られるのはキツいんだ。僕の弟たちは、みんな勘がいいからね。落ちこむことがあったということがすぐにバレてしまう。エスターあたりには、母親と話をしたというあたりまで推測されそうだ」
「本当ですよね。あの勘の良さに、冷や水を何度浴びせられたかわかりませんよ」
フランセットはため息をついた。メルヴィンはくすくすと笑う。
「明日の朝にエスターかアレンが宮に来るはずだから、あの子たちに人形用のドレスのことを聞いてみよう。フランセットが小さくなってしまったことは、騒ぎになるといけないから念のため伏せておくね」
「は、はあ……。人形用のドレスに関しては、メルヴィンさまの思い違いであるという説を信じたいと思います」
「今夜の夕食はここに運ばせるよ。あなたの分は少なめにしてもらって、小さいサイズに僕が切り分けるね。それと、あなたのベッドを用意しなくちゃ。そうだ、ちょうどいい大きさの宝石箱があったよね。あの中に、切った毛布を敷きつめればちょうどいいベッドになりそうだ。フランセットの更衣室の中を見せてもらうね」
メルヴィンは、続きの間である更衣室に行き、宝石箱を探し出してきた。フランセットの身長よりもひと回り大きいそれは、横たわるのににちょうど良さそうだ。
「中に入っていた宝石類は引き出しにしまっておいたよ。フタは外しておくね。いまから敷布団と掛け布団と枕を即席で作るから、ちょっと待ってて」
ベッドサイドの棚からナイフを取りだして、メルヴィンは毛布に豪快に刃を入れ始めた。高品質の物を、もったいない……と貧乏国出身のフランセットは思ったが、あることに気づいてフランセットは表情を曇らせた。
この宝石箱は、輿入れのときに母親が持たせてくれたものだ。母が使用していたものだから使いこまれているが、微細な装飾をほどこされた深い紅色のそれはとても美しく、フランセットのお気に入りだった。
(わたしのお母さまは、ものすごくマイペースで困ったお人だけれど、わたしと弟のリオネルを愛してくださっていたわ)
父は、輪を掛けて困った人だけれど、それでも憎めない人だ。それは、父が愛情を持っている人だったからだ。遠慮せずになんでも言い合えたのも、家族という名の信頼が確かに存在したからだ。
メルヴィンとリヴィエラの会話を、そして、アレンとロッドの口論を思い出す。ウィールライトの王家は、今後もこのままなのだろうか。兄弟王子たちは結束が固いのに、両親との関係は破綻しているように見える。そしてフィーリアは、このことについてどう感じているのだろう。
そして、メルヴィンがリヴィエラにあのような態度をとるのに、特別な理由があるのだろうか。
フランセットは、意を決してメルヴィンに尋ねた。
「メルヴィンさま、ひとつだけ聞かせてください。お義母(かあ)さまにそっけない態度をとるのは、なにか理由があるのですか?」
「……昔ね。母上とのあいだで、昔、揉めたことがあったんだ。いや、揉めたというほど表立ってはいなかったけれど」
メルヴィンはそこで口をつぐんだ。しばらくののち、ほほ笑みながらフランセットを見る。
「このことはまた改めて話すよ。いまは体を休めて、明日に備えよう」
気になったが、これ以上聞くことはできなくてフランセットはうなずいた。
(メルヴィンさまが王妃殿下に言っていた、『真っ先に乗り越えるべき問題』――)
それは、息子たちが両親と和解することを指すのだろうか。
そうであればいいとフランセットは思った。メルヴィンが、その道を目指して進むことを心に決めていたらいい。
なぜなら、過去になにがあろうとも、あのような関係を親と持ち続けることはとても悲しくて苦しいことだと思うからだ。
「よーし、できたよフランセット。寝心地はどうかな。いっかい試してみて」
「わかりました。――うん、すごくふかふかで気持ちいいです。掛け布団も薄手だから暑くなりすぎなくて快適そうだわ。ありがとうございます。メルヴィンさま」
「よかった」
メルヴィンの笑顔を見上げながら、フランセットは、小さくなってしまった体を悔やんだ。
今夜こそ、彼を抱きしめて眠りたかった。