05

 眠れない、と思ったのもつかの間、泥のように眠っていたようだ。
 極限の緊張が続いて、疲れがピークだったのだろう。

「おはよう、楓子」

 目を開けるとすぐ横に、シンがいた。浅黒い肌に、微笑を浮かべている。彼の指先が、あたしの前髪を寄せた。

「よく眠れたようだな」
「……。指一本触れないんじゃなかったの」

 シンは言葉に詰まった。

「すまない。つい――」

 慌てて指をどけた。
 あたしは重い頭を持ち上げるように、起き上がる。全身が鉛みたいだ。

「しかし、楓子。これから必要に応じてはおまえに触れる必要が出てくることもあるだろう。そういう時は許して欲しいのだが――」
「シンは眠れたの?」

 あたしの問いに、またしても言葉に詰まる。

「……ああ、眠れた。体調は万全だ」

 シンの白目に、赤みが帯びている。あたしと違って、眠れなかったのだろう。
 悪い人では、ないと思う。
 けれど、油断できる人でもない。
 なにしろ彼は、名前以外の素性をいっさい明かしていない。

「これからあたしは、どうなるの」

 聞きたいことは山ほどある。
 だから、一番知りたいことを聞いた。
 シンはゆっくりと笑んだ。

「まずは、朝食だ」

 朝食は1階の食堂でとった。
 食堂と言っても、4人掛けのテーブルが3つあるだけの煤(すす)けた部屋だ。あたしたちの他に2人、別々のテーブルでもそもそと食べている男性がいた。
 席につくと、昨日の店主が無言で食事を運んできた。1人で切り盛りしているんだろうか。
 食事というからパンでも出るのかと思ってたら、木製のコップに乳褐色の飲み物だけが出てきた。

「これ、なに?」
「ティーツァだ」
「……。朝ごはん、これだけ?」
「ああ」

 シンはゆっくりと、湯気がふわふわしたティーツァなるものを飲んでいる。
 見た目はミルクティーみたいだ。勇気を出して飲んでみると、意外にも塩味だった。

「びっくりした。でも、おいしい」
「たっぷり飲んでおけ。おかわりもできる」

 と言われても、食欲はない。
 残すのも悪いので、ちびちびとぜんぶ飲んだ。1杯だけど結構お腹に貯まった。シンは3杯飲んでいた。

「それだけでいいのか?」
「うん。お腹いっぱい」
「それでもつのか。今日はたくさん移動するぞ」

 どこへ連れていかれるのだろう。もう不安感すら飽和して、どうにでもなれといった気分になっている。

「酒も飲むか?」
「ファジーネーブルでもあるの?」
「ふぁじー……? ミーシアルヒだが。ヤギの乳の酒だ」

 カルアミルクみたいなやつだろうか。それにしても、ヤギがいるんだ……。

「いらない。アルコール強くないの」
「そうか」

 シンもお酒は飲まなかった。
 宿を出ると、あたりはうっすらと明るくなっている。朝の5時頃といった感じだ。頭を出しかけた太陽が、ぶ厚い雲の向こうに見えている。地面は雪に覆われて、踏みしめるたびにギュウギュウと鳴った。
 昨日は気づかなかったが、この村はあたしの胸あたりまである木柵に囲われている。木造の小屋が点在し、その隣には円形のテントが併設してあった。
 家々の庭にはさらに木柵が設けられており、羊や鶏などの家畜がいる。羊は毛が泥で汚れていて、のっそりと餌を食(は)んでいた。

「とりあえず、おまえのその薄着をなんとかしないといけないな」

 あたしはシンの長い上衣と、毛皮のマフラーを借りていた。だからシンは中綿(なかわた)の服1枚だ。昨日は気づかなかったが、背には弓と矢を負っている。

 足早に向かった先は服屋だった。
 見た目は他の小屋と変わらない。中に入ると暖炉が暖かく、冷えた耳が生き返るようだった。
 中年の女性がカウンターから立ちあがり、ニッコリ笑った。宿の店主とは違って愛想がある。

「いらっしゃい。何をお求めかね?」

 恰幅のいいおばさんだ。シンと同じ浅黒い肌をしている。

「この娘に合う防寒服を一式みつくろってくれ。予算はこれで頼む」