08

「休憩後は馬を走らせてみるか」
「今よりも揺れるの?」
「怖いか?」

 実をいうと、そんなに怖くない。シンには人を安心させる何かがある。シンに支えてもらっていれば、絶対に大丈夫だという信頼感だ。
 昨日会ったばかりで、こんな不可解な状況なのに、そう思わせるシンはすごいと思う。
 でも変なのはあたしかもしれない。
 昨日、あんなことをされたのに、シンを信頼しているなんておかしい。

「怖くないけど、疲れてきたかも」
「もうすぐ遊牧民のゲルがあるはずだ。そこで休ませてもらおう」
「ゲルってなに?」
「移動式テントのことだ」

 しばらく駆けると、大きなテントが見えてきた。3つくらいあって、白い円柱形をしている。
 テントの近くに3人の子供がいた。小学生くらいだろうか。ヤギや羊の世話をしているようだ。この子たちも着こみすぎて雪だるまみたい。子供たちはこちらに気づくと、嬉しそうに大きく手をふった。

「シン! シンだー!」
「久しぶりだねシン」
「入って入ってー」

 どうやらテント――ゲルの住人たちはシンの知り合いらしい。
 子供たちから歓待を受けつつ、シンとあたしはは真ん中のゲルに入った。温められた空気にほっとする。

「あらあら、誰かと思ったら!」

 30代くらいのおばさんが出迎えてくれた。シンは会釈する。
 ゲルの中は結構広くて、直径5~6メートルはある。中央に2本の柱があり、黒い薪ストーブが置いてあった。

「突然すまない、アルトゥ。少し暖を取らせてくれないか。この地に慣れない娘を連れている」
「あら、ほんとだね。初めまして。あたしはアルトゥだ。このチビたちは、バドマ、ビリク、ブレン。やんちゃ坊主たちだよ」
「は、初めまして。楓子です」

 あたしはどぎまぎしながら頭を下げる。アルトゥさんは手足が長くほっそりしていてカッコいい。日本でいうならキャリアウーマン風だ。
 そして3人の男の子たちは、好奇心いっぱいの目であたしを見上げている。

「この地に慣れてないってことは、外の国から来たのかい?」
「まあ、そんなところだ」
「じゃあこの寒さには参っただろう。ああでも、いいディールを着ているね。毛皮のショールも。これなら大丈夫だね」

 どうやらディールとは、チャイナドレスみたいな上衣のことらしい。この国の人たちはみんなこれを着るようだ。民族衣装のようなものだろうか。

「さあ、ショールを脱いで、ストーブに当たりな。ん? あんた、ちょっと震えてないか?」
「あ、はい。馬に乗ったのが初めてだったから、力を入れすぎちゃって」

 内ももにヘンに力をこめすぎて、ちょっと震えていた。馬を降りても、まだ振動が残っているような感覚がする。

「馬が初めて?! 珍しい子だねぇ」

 勧められるがままに、ストーブの前の椅子に腰かけた。脚の低い、おもちゃのようにカラフルで可愛い椅子だ。シンは弓矢と刀を鞘(さや)ごと抜いてすみに置き、あたしの隣に腰かけた。

「しかしシンが女づれなんて初めてだね。恋人かい?」
「ちっ、ちがいます」

 あたしは慌てて首をふった。アルトゥさんが笑いながら、木のコップを手渡してくれた。ティーツァという塩味のミルクティーだ。

「おやおや、じゃあシンの片思いか」

 シンは困ったように苦笑する。

「少し事情が複雑なんだ」
「複雑ねぇ。天涯孤独の根無し草なあんたにも、やっと伴侶が見つかったかと思ったのに。そろそろ身を固めなよ。いい歳なんだろう?」

 天涯孤独。シンに家族はいないのだろうか。

「25になったばかりだ」
「ほら、もう子供がいてもおかしくない歳じゃないか。どうだいフウコ。この子はむっつりした朴念仁だけど、優しくて頼りになる男だよ。腕もたつし、顔もいい。ここいらじゃ一番のオススメだよ」
「は、はぁ……」
「アルトゥ、彼女が困るだろう」

 本当に困った顔をしているのはシンだ。ティーツァをいっきに飲み干して、立ちあがる。

「アルトゥ、家畜の世話を手伝わせてくれ。楓子はここでもう少し休んでいろ」

 シンの背中を、子供たちが喜んで追いかけていった。いってらっしゃい、と声をかけつつ、アルトゥはため息をつく。

「ほんと、いい子なんだけどね。あの子は確か6歳くらいのときにフラリとあたしらのゲルにやってきて、20歳になるまで一緒に暮らしてたんだよ。無口で、でも仕事のできる男でね。狩りも、採集も、家畜の世話も、なんでもそつなくこなした。腕もたつから、用心棒にもなった。あたしの父にすぐ気に入られて、養子にするとまで言ってたんだけどねぇ……あんなことになっちゃって」
「あんなこと?」
「ああ、いいよ、もう昔の話だしね、気にしないでおくれ」

 そう言われると余計に気になってしまう。