36

 シンの刀がアスカのそれを弾き飛ばした。白い刃がひるがえり、まっすぐに落ちて地面を突き刺す。
 アスカは地面に倒れ、その上からシンの刀の切っ先が、喉もとに迫った。
 闇が静止した。
 2人とも肩で息をしている。鮮烈な闘気はまだ、あたりを取り巻いている。

「コソコソ逃げるまでもなかったか」

 勝利を確信して、那岐がつぶやいた。ユルハさんも安堵の息をつく。けれどあたしはいよいよ強い力で那岐の上衣を握った。
 修羅のような表情のシンとは反対に、アスカはひたいから汗を流しつつも、薄い笑みを浮かべている。その両眼がゆっくりと動いて、壁際にいるあたしを捕えた。

「ひっ――」
「姉さん?」

 強張ったあたしを那岐が覗きこむ。あたしは首を振った。

「那岐、アスカは」

 アスカの目からそらせない。彼の青眼に縫いとめられた。

「アスカは幻術を、いつ使うの」
「いや……さすがにアスカでも、全開のシンを幻術に嵌(は)めることなどできないよ」
「でも――じゃあ、どうしてアスカは嗤(わら)ってるの」

 那岐は眉をひそめた。彼の目がアスカを見た時、背後から別の男の声がなだれこんできた。

「シン、那岐っ。気をつけろ!」

 スオウだ。
 追ってくる狼を1匹斬り捨て、最も的確な、短い警告を、叩きつけた。

「ユーマだ!」

 那岐はあたしとユルハさんを押し倒し、覆いかぶさった。その直前に、シンが左を振りあおぎ、身構えるのが見えた。
 那岐が短く何かをつぶやく。それは意味をなさない音の羅列だった。直後、那岐の指先が光をおび、一瞬でふくらんであたしたちを半球型につつみこんだ。

「ここを動かないで」

 軽く微笑みを見せてから、那岐はシンの方へ駆けだした。あたしはユルハさんの助けを借りて、上体を起こす。半球の光に、立ちあがれるほどの高さはない。

 那岐が走りよる先で、シンが片膝をついた。苦痛の表情で、頭を抱えている。歯を食いしばって睨みつけた先、一段上がった横穴の中から、1人の青年が歩みでた。
 さらりとした栗色の髪に、月光がすべり降りる。青い双眸を凍りつかせて、ユーマはシンを見おろしていた。

「シン、しっかりしろ」

 那岐がシンの肩をつかむ。同時に、半球状の光が2人を覆った。
 アスカがよろめきながらも立ちあがり、あざ笑う。

「惨めだな、那岐!」

 ユーマが表情なく、けもの道をつたって下へ降りてきた。スオウはどこへ行ったのだろうか。3匹の狼とともに、姿を消してしまった。――逃げたのかもしれない。

「巫子のなりぞこないが祠(ほこら)にこもって、祈りでも捧げるか? この世に神はいない。おまえらに救いなど、永遠にやってこない」
「同感だ」

 あごに汗を這わせながら、那岐が笑む。壮絶な闘気が、彼を包んでいた。

「『闘士』に選ばれながらも巫女を傷つけ凌辱したおまえに、光は射さないだろう。死んでからのちも、永遠に、暗闇の中を這いまわるがいい」
「あ?」

 アスカは体を折り、那岐に顔を近づけた。剣呑にいう。

「どんなんだろうと、ヤることはこいつらと一緒じゃねーか。阿呆か、おまえは」
「アスカ。その辺にしておけ」

 ユーマが口を挟んだ。氷のような双眸に、わずかに嫌悪が混じっている。

「シンのスキをついて幻術をかけただけだ。長くはもたない」
「ちっ。うるせーな」

 アスカが片手を上げると、手下と思われる若者が6人ほど、横穴から現れた。

「檻をバラして持ってこい。こいつら2人を囲んで組み立てろ。いいか、あの光には絶対に触るなよ。骨ごと溶けるぞ」

 若者たちは息をのんだが、すぐに奥へ駆けていった。やがてアスカの指示通りに、二重の鉄柵を組立てて四方と上部を囲み、頑丈な杭を打ちつける。いくらシンといえども、この牢を破るのは至難のわざだろう。
 アスカの両眼が、あたしを見た。
 心臓が大きく波打つ。
 薄い笑みを刷きながら、アスカはゆっくりと、地面を踏みしめるようにこちらへ近づいてきた。
 手足が震える。ユルハさんがあたしの腕をつかんだ。縋るように、見上げてくる。

「ああ、どうかお助けください、巫女様」

 あたしは言葉を失った。
 ユルハさんの体は小刻みに震え、目には涙が溜まっている。彼女も怖いのだ。当たり前だ。那岐の側使えというだけで、こんなことに巻きこまれて――。

「籠の中の鳥、だな」

 目前に、アスカが辿りついた。月光を背に、悠然と、大きな体が立ちはだかる。

「仕方ない。こじ開けるか」

 アスカは右腕を持ち上げ、何かを呟いた。すると彼の腕が青い光を帯び、陽炎(かげろう)のように揺らめいた。そして『骨まで溶ける』と自身で説明したばかりの半球の中へ、ずぶりと腕をねじりこんだ。