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「やばい。ほんとに。大丈夫かなオレ」

 わたしの体に両腕をからませ、髪をなでながら、リオウがいう。わたしは体力の限界をすぎ、ぐったりとまどろんでいる。

「ええと、こうやって抱けるのが蒼月の夜だけだろ。で、順番があるから、次は兄さんで、その次はユーマで、次は21日後」

 リオウは指折り数えている。わたしは重たいまぶたを持ち上げた。

「何の、計算をしてるの?」
「次にいつ楓を抱けるのか数えてるの」

 とんでもない計算だった。わたしは憤るより呆れた。

「……リオウって、相変わらず明るいね」
「そう? 普通だと思うけど」
「わたしはとても、そんなふうになれない」
「楓は女の子だからね。そりゃオレとはちがう思いがあるのは当たり前だと思うよ」

 リオウは片方のてのひらでわたしの頬を包む。
 目を覗きこんで、屈託なく笑った。

「でもさ楓。気持ちよかったでしょ?」
「……?! し、信じられないリオウっ」

 一体何を言い出すのかと思ったら。わたしは赤面した。

「オレが言いたいのはさ、これはもう逃れようのない運命なんだから、それならいっそ楽しんじゃったほうが勝ちってこと。ユーマも兄さんも、もちろんオレも優しいだろ? 楓の体を傷つけるようなことなんて絶対しないし、それでお互い気持ちいいなら、割り切っちゃった方が楽しいじゃない」
「……う。なんか、説得力あるような、ないような」
「あはは。世の中にはそりゃ悪い男もいるから、楓はまだ幸せな方だよ」
「悪い男って?」
「女を傷つけるやつ。心も体も、両方」

 そんな男、いるんだろうか。わたしは獣化したイブキさんを思い出した。彼なら、もしかしたら、女だけでなく誰でも傷つけるかもしれない。

「ま、とにかくさ。なるようにしかならないんだから、気楽にいこうよ」

 リオウはわたしの前髪をかきあげ、おでこにキスを落とした。
 ……確かにそうかもしれない。
 リオウの言葉にちょっと胸を軽くしながら、わたしは再び目を閉じた。

 毎日の労働を免除される、というのは不思議だった。
 最初は体も心もぐったり重く、寝台に寝転がるだけの日々だった。朝と夜に、一族の女性が入れ替わりにやってきて、ごはんを作ってくれたり掃除や洗濯などの家事をやってくれた。
 わたしはただ『巫女様』と呼ばれ、かしづかれていた。
 蒼月の夜をのぞいては、ただそれだけの日々だった。

 リオウとの夜を終えて、少し気持ちが軽くなったわたしは、久しぶりに外へ出てみた。
 最初は緊張して、外をうかがうようにそろそろとゲルを出た。
 すぐにわたしを見つけた人々が、「巫女様おはようございます」と礼をとる。
 今まで「楓子」と呼んで、気さくに声を掛けてくれていたのに。わたしはとたんに怖気づいて、ゲルの中に戻ろうとした。そこへ声を掛けてくれたのがユーマとリオウだった。

「おはよ、楓。よく眠れた?」
「今日はいい天気だから、遠乗りにいかないか?」

 2人とも、いつもと変わらない様子で――ユーマは少し、耳を赤くしていたけれど――誘ってくれた。逡巡したのち、うなずいた。最初はぎこちなかったわたしも、徐々にほぐれて、大草原の風を楽しむことができた。草の匂いを胸いっぱいにかいで、青い空を見上げると、胸がすく思いがした。帰り道にはいつものように笑うことができた。

 午前中で遠乗りを終えて、3人でわたしのゲルに戻った。繕いものをしてくれている女性に、3人分の昼食を頼み、みんなで食べた。

「最近西の方に別の一族が移動してきたんだって。遊牧民のクランでさ、クウガたちが遊びに行ったら歓待してくれて楽しかったみたい。今度行ってみない?」
「他の一族との交流は禁止されているはずだろう」

 ユーマが生真面目に眉をひそめる。リオウは肩をすくめた。

「いーじゃんこれくらい。なあ、楓は行くよな?」
「うーん、どうしようかな」

 ベイズをもぐもぐしながら、わたしは首をあいまいに微笑んだ。
 他の遊牧一家のところへ遊びに行くことは禁止されているけど、子どもたちは大人の目を盗んで、おみやげ持参で足を運ぶことがあった。遊牧民は客好きだ。大喜びでもてなして、遠い大地の、いろんな話を聞かせてくれる。こうなる以前はわたしもよく、リオウたちと遊びに行っていたものだ。

 でも正直、今は知らない人と交流するような気力がない。
 ユーマが、ピシリと言った。

「楓子は駄目だ」
「出た出た、ユーマの過保護」
「最近は盗賊団もあたりをウロウロしているという。過保護すぎるくらいでちょうどいい。おまえは考えが軽すぎる」

 それはわたしが巫女だからだろうか。つい沈黙してしまう。
 そのあとリオウがうまく話を切り替えて、昼食の場は気まずいまま終わるのを避けられた。笑顔で2人を送り出し、ゲルの幕を閉じたあと、へなへなとその場に座りこんだ。

 ……疲れた。
 もう今日はこれ以上、動けそうにない。

 蒼月の夜を迎えたのは今までで2回だ。お婆が言っていたが、『闘士』との交わりは、自分の気を搾り取られる作業でもある。そのため、酷く力を消耗するのだそうだ。
 お婆が巫女についての知識にあまりに詳しいので、実はもと巫女なのかと疑ったが、ちがうらしい。代々続く占い師の家系に、ずっと残されてきた知識とのことだ。

 先代の巫女が産まれたのはなんと100年も前のことになる。その間、巫女不在の一族は数え切れぬほどの獣化人(じゅうかびと)を出し、人口はゆっくりと減っていったそうだ。現時点でおよそ200人だが、この地に来た当時は1000人を超えていたらしい。

 巫女の力は、30代後半から40代で消える。どんなに長くても、およそ30年。
 たった30年間の、平穏。
 それが月狼の民にとって、どんな意味をなすのか、今となってはもうわからない。