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 あの日から、同じ季節が巡ってきた。
 わたしとシンは今、アルトゥさんのクランにお世話になっている。うす暗い早朝、しっかりと防寒着を身につけて小さなゲルを出ると、シンが薪をかついで戻ってくるところだった。

「おはようシン。相変わらず早いね」
「まだ空気が冷えている。もう少し中で休め」

 ゲルの横に薪を置いて、シンはわたしの背中を促す。隣にあるアルトゥさんのゲルから、長男のバドマが出てきて伸びをした。

「大丈夫だよ。ほら、バドマも起きてきたし。一緒に餌をやる約束したんだ」
「オレがやっておく」

 有無をいわさず腕をつかんで、シンはわたしをゲルの中に引きずりこんだ。大事にしてくれるのはありがたいけれど、シンが過保護であればあるほど、クラン内で肩身が狭くなるのだ。

「あのね、シン。働かざる者食うべからずっていう言葉、知ってる?」
「いや、聞いたことはない。どういう意味か教えてくれ」

 そういいながら、シンはわたしのひたいに口づける。腰に腕がまわり、もう片方の手がうなじの髪をかき上げた。あやしい動きにわたしは慌てた。

「ちょっとシン、今、朝!」
「なんという言葉だ? 働かざる者」
「ちゃ……んと、家の仕事をしない人は、ごはん食べる資格が、ないっていう、――っ」
「そんなことはない。おまえはちゃんと働いている」
「シン、駄目……っ」

 あらわにされたうなじを、熱い舌が這う。上衣の脇部分のボタンが外されて、合わせ目から大きな手が侵入した。

「新婚の女は、子を為すのが仕事だ。昨夜もきちんと励んでくれただろう」
「ぁ、やあ……っ」

 下着の上から片方の胸を押し上げるように揉まれ、まだやわらかい蕾をこすられる。浅黒い指が何度も往復するうちに、布を押し上げ張りつめてきた。
 月経が終わったのは10日前だ。わたしの初潮にあたる。もう永久にくることはないと思っていたから、最初は大混乱してアルトゥさんに泣きついた。まさかあんなにも血が出るものだとは思わなかった。下腹部も引き絞られるように痛むし、頭痛もするしで、最初の2日間は寝込んでしまったくらいだ。
 アルトゥさんは初潮だと聞いて驚いていたけれど、対処法をいろいろ教えてくれて、介抱してくれた。

 『蒼月の巫女』が力を失うのは、30代後半から40代の時期だと以前に聞いていた。だからまさかこんなにも早いとは思わなかったのだ。
 これはいったい何を意味するのだろう。1年前、『月狼族』は残り12人だった。それからさらに数が減り、『巫女』の力が必要なくなったのだろうか。
 1年前のあの日から、彼らには会っていない。リオウやスオウは今、どうしているだろう。

「何を考えている?」
「ユーマたちのことを……、ぅんっ」

 腰に回っていた手が頭の後ろをつかみ、上向かせて唇を奪われる。すぐに熱い舌が入りこんできて、逃げるわたしのそれをからめとった。
胸への愛撫もやむことはなく、頭が真っ白になって、立っていられなくなる。細かく震える太ももに、熱く固いものが触れてどきりとした。
 その時、ゲルの外から声が投げ込まれた。バドマだ。

「おはようございます。フウコさんもう起きてますか? 餌の時間なんですけど」

 今返事してもまともな言葉にならないだろう。混乱していると、シンが代わりにこたえた。

「楓子はまだ寝ている。どうやら疲れているようだ」
「そうですか」

 シンの舌が耳殻を這う。思わず声が出そうになると、後頭部にあった手が抱きこむようにして回り、口を覆われた。上衣の中に侵入しているもうひとつの手は、やわらかな胸を味わうようにもんでいる。
 下腹部へ向かって広がる快感と、口を塞がれている苦しさで、涙がこみあげてきた。

「それじゃあ、僕がやってきます。フウコさんは寝かせておいてあげてください」
「ああ、悪いな。礼に水汲みと矢作りはオレがやろう」

 足音が遠ざかってゆく。ようやく、シンのてのひらが口から離れた。鼻まで覆われていたわけじゃないけど、酸素が足りなくて肩で息をした。涙目になりながらシンを睨み上げる。

「シンはいつからこんなヘンタイ行為をするようになったの」
「へ、へんたい?」

 シンは慌ててわたしから手を離した。足に力が入らなくなっていたので、あっけなく崩れ落ちようとするわたしを、シンはまたもや慌てて抱きとめる。

「すっすまない。別にそういう意図があってやったわけではないんだ」
「もしかして天然? そっちのがタチ悪いよ」
「すまない……」

 しゅんとうなだれる。大きな狼が耳を垂れているみたいだ。こういうのはずるいと思う。

「おまえがまだユーマを気にしていると思って、ついやきもちをやいた」
「結婚してるのに?」

 このクランでささやかな結婚式を挙げたのは、半年前だ。久しぶりに庵から那岐がユルハさんを連れて出てきて、立会人になってくれた。彼女にはまだ獣化の兆しはないようだ。

「まだおまえが、オレの腕の中に戻ってきたということが信じられない」

 わたしを抱いたまま、敷物の上に腰を下ろす。胡座する足の上に、わたしを横向きに座らせた。

「おまえがニホンに行っていた5年間、半分透けたようになったおまえの体を、ずっと見ていた。那岐の寝台で眠る楓子はいつも、涙を流していた」

 初めて聞く話だ。わたしは黙って耳を傾ける。

「那岐が、楓子は向こうの世界で大きなトラブルに巻き込まれることなく、うまくやっていると言っていた。けれどオレはどうしても信じられなかった。ならどうして楓子はずっと涙を零し続けているのか、その理由がわからなかった。5年間我慢した。けれどそれが限界だった。体の半分がこちらにある状態ならば、『送還の儀』を行った場所に連れていって呪(しゅ)を唱えれば、オレのような術力のない者でも取り戻せると聞いたからだ。そうして楓子は、ここに戻ってきた」

 わたしの頬を愛しげに撫でながら、シンは続ける。

「覚えているか? カルリト町の宿で泊まった時、オレがおまえに、向こうの世界でつらい思いをしていなかったかと、聞いた時のことだ」
「ごめんなさい、覚えてない……」

 シンの口づけがまぶたに落ちる。

「淋しかった、とだけ」

 そうだ。わたしはずっと、淋しかった。
 こうしてシンに抱きしめられたかった。そして抱きしめたかった。
 腕を伸ばして、シンの首にからませる。草原の匂いを、いっぱいに吸いこんだ。
 彼の腕に力がこもり、耳もとで低くささやく。

「抱かせてくれ」

 足の上に座らされたまま、衣服をすべて脱がされた。ストーブによって暖められた空気に素肌が曝され、寒くないのに身震いする。
 シンのてのひらが愛しむように、体中に触れてゆく。キスの雨が降る。うなじに、鎖骨に、胸のふくらみに、淡く色をつけてゆく。やがて唇に戻ってきて、深い口づけを与えられた。ざらついた舌がわたしのそれを捕え、舐め上げる。劣情が煽られて口の端からくぐもった声がもれた。震える指先でシンの上衣をつかむ。脇をしめたせいできゅっと寄った谷間に、シンの片手がすべりこみ、味わうようにもみこんだ。中指が時おり、すでに固くなった先をやわらかく押し潰す。

 濃密な口づけから解放され、乱れる息を持て余していると、シンの腕に背中を押し上げられて、かがみこんだ彼の唇が胸の先を含んだ。軽く噛まれ、濡れた舌でからめるように舐め上げられる。思わず跳ねる腰を、もう片方のたくましい腕が抱きこんだ。

「ぁ、あっ……。や、ん……っ」

 腰を抱いた手がその先にあるふとももに触れる。熱を帯びたてのひらが素肌を撫でながら、片足だけを床に下ろした。わずかにできた隙間へ指先が侵入する。キスや胸への愛撫によって、うっすらと湿りを帯びたそこを上下になぞり、秘裂をかき分けて花芯を探り当てた。

「シン、待っ……ぁあっ」

 昨夜幾度も弄られたせいか、いつもより強く速く、快感が押しよせた。親指でこねまわされ、軽くつままれるたびに、嬌声があがる。淫壺からじわりと愛液が沁みだした。それを中指ですくいとられ、割れ目全体に撫でつけられる。焦らされるような動きに、無意識に腰が動き、泣き声がもれた。宥めるようにシンの中指がつぷりと体内に入りこむ。弱い箇所を的確に把握した指先に翻弄され、ビクビクと腰がはねた。

「楓子」

 包むように優しく、シンが呼ぶ。
 涙でかすんだ視界に映るシンの目はすでに、青くない。
 初潮が始まるとともに、本来の瞳の色が見えるようになった。
 シンが上衣を脱ぎ、床の上に敷く。そっとわたしを横たえて、深い漆黒の目で見おろした。

「愛してる」

 熱い感情に満ちた口づけを与えられる。愛撫を続けながら、シンは衣服を脱いでいく。とろとろに蕩けている秘所に、固く熱い己自身をあてがった。

「好きだよ、楓子」
「……っあ」

 ゆっくりとシンが腰を進めた。快感が押しよせて、広い背中に縋りつく。床と背中の間に、たくましい2本の腕が回り、きゅっと包みこまれた。こめかみに優しいキスが落ちる。

「シン、大好き」

 彼の耳もとで囁いた直後に、熱い楔が最奥へ打ちこまれた。悲鳴を上げて弓なりになる体をきつく抱いて、シンは幾度も腰を打ちつける。鋼色の髪から汗が落ち、わたしの頬を伝い落ちた。密着した肌と肌が溶け合うほどに熱い。きゅうきゅうと締まる蜜壺と、シンの肉棒がこすれあい、かき回されるたびに、淫らな水音が響いた。

「や、あ、しん、駄目、ぁあ……っ!」
「――っく、楓子」

 一際強く、灼杭が奥を抉った。足先にまで力がこもり、背筋がのけぞる。
 同時に、体内で熱い迸りが放たれた。

 シンはすべてを出し切るようにゆっくりと抽送をくり返し、蜜壺の襞はそれにこたえてきゅうきゅうと彼自身を扱く。そのたびに、達して敏感になった体はピクピクと震えた。
 やがて吐精し終わったシンは、乱れた息のまま唇に深く口づけをする。横向きに転がって、汗に濡れた腕でわたしを抱きこんだ。
 世界で一番安心できる、たくましい胸の中だ。

「楓子」

 シンは頭のてっぺんにキスを落とした。

「おまえは本当にやわらかい。ずっと抱いていたい」
「それは光栄だけど、シン。そろそろこれ抜いてほしいな」
「まだ、もう少しだけ待ってくれ。気持ちいいんだ」

 艶っぽく息をつきながら、シンはいう。わたしは耳を赤くしながらも、訴えても無駄だと悟って大人しく身をゆだねた。時おりシンのものがぴくぴく動くから、できれば早めに抜いてほしいんだけど。
 しばらくそうしていると、ふいにシンの腕に力がこもった。

「楓子。『谷』へ行ってみるか?」

 わたしはゆっくりと目を見開いた。

「いいの?」
「あそこには大切な友人が眠っているんだろう?」

 トウリのことを思い出し、胸を疼痛が貫いた。
 『谷』には1年前のあの日以来、行っていない。
 シンの刀がアスカの胸を貫いたあの日。アスカの骸は無数の狼に埋もれ、すでに骨になっているだろう。
 あの時のことを思い出すと、胸が騒いでかきむしられる。けれどどうやって気づくのか、そういう時いつもシンが黙って抱きしめてくれるのだ。

「花を手向けにいこう。友人もきっと喜ぶ」
「ありがとう」

 感謝の気持ちをこめてシンの首に腕をまわし、唇にキスをした。顔を離して漆黒の瞳を見つめ微笑むと、なぜか体内のシン自身が固く大きくなってしまって、わたしは悲鳴を上げた。

 『狼獄の谷』には、冷たい風が吹いていた。1年前と変わらず、寒々しく、淋しい場所だった。入り口からはいってすぐ、錆びて朽ちかけた鉄の牢獄が目に入った。首をめぐらすと、その奥に、白く乾いた骨が無数に散らばっている。
 『獣化』した『月狼の民』の成れの果てだった。この中に、アスカの骨も眠っている。

 魅入られたように佇んでいると、後ろからシンの腕に肩を抱かれた。彼が右手に持った青と白の花束の、清浄な香りが鼻をかすめた。

「もう、見なくていい。奥へ行こう」
「ひとつだけ」

 白い花を1輪引きぬいた。シンはなにもいわない。彼に肩を抱かれたまま、朽ちかけた骨の上にそっと落とした。
 風が吹く。懐かしくて、哀しい風だった。

「行こう」

 ぎこちなく頷いて、手を引かれるままにその場をあとにした。たずなに引かれて、オウルもあとからついてくる。
 やがて、トウリが眠る場所に辿りついた。岩壁へ寄せるように、こんもりと土が盛りあがっている。近づくにつれて足が鈍くなる。まるで重力が大きくなっているようで、胸が押しつぶされそうになった。

「楓子」

 優しく呼ぶ声に励まされて、顔を上げる。一歩一歩近づくと、やがて以前とは違う光景に気がついた。
 トウリの隣に、さらに2つ、土が盛られている。
 その上にはまだ新しい花束が置かれている。トウリの分と、新しい2つのお墓、それぞれの上だ。青と白の、清廉な花束。

「同じ花か?」

 シンがつぶやいた。
 わたしはゆっくりと膝をおり、新たに作られた墓に、そっと指で触れた。
 胸がつまる。
 息をするのすら難しくて、涙でかすんでゆく視界を、手の甲でこすった。

「同じ花だね。この花は、寒い時期にも摘める花なの」

( 丘で花を摘むんだろ? 綺麗なのがたくさん咲いてるといいな )

 あの時リオウは、笑っていた。
 青いのと、白いのとを束ねて、2人でこの谷を訪れ、トウリに手向けた。
 『月狼族』のクラン近くにある丘でも、摘める花だ。

「きっとユーマが飾ったんだね」

 そして、トウリの横に並んで眠っている2人はきっと、スオウとリオウなのだろう。
 それぞれの土を撫でる。どうしてか暖かいような気がした。乾いた土に、涙の雫が落ちて色を濃くした。それを追うように、頬を幾筋もの涙が濡らしてゆく。

「楓子」

 シンが片膝をついてわたしの頬をてのひらで包んだ。上向かせて、涙をぬぐう。
 泣かないでくれ、と何度もいわれたことがある。けれど今この時、シンはそれを口にしなかった。ただきつく眉を寄せて、わたしを抱きよせた。

 スオウとリオウと、トウリの名を呼ぶ。
 小さくかすれた声は、吹き抜ける風にさらわれて、蒼穹にすいこまれていった。

fin