15 好き

「っん、ヴァル様ぁ……っ。わたし、わたしも、体が、熱くて……」

 布の上から快楽の塊をつかまれ、コリコリと愛でられる。

「も、ァ、だめ、だめ……っ!」

 毒のような快楽が体の奥底で弾けた。体ががくがくと震えて、お腹の奥が切なく疼く。そこに何かがほしいと、ローゼは思った。それがなんなのかは分からなかった。

「あ……、ヴァル様」

 達したばかりで震える体を、ヴァルは優しく抱き止める。その優しい温かさに、ローゼは泣きたくなる。

「ヴァル様……」

「そのような愛らしい声で名を呼ぶな、ローゼ」

 乱れた長い髪を直しながら、ヴァルは掠れた声で囁く。

「理性が効かなくなる」

 ショーツに触れていた指が、太ももを辿って離れていく。ドレスがふわりと持ち上がって、またローゼの足の上に戻ってきた。

 それを寂しいと、感じてしまった。
 もっとヴァルに触れてほしいと。
 ローゼは唇を噛む。
 けれどどうしても、父親のことが脳裏に浮かんでしまう。

(お父様は、お母様を亡くしてしまって、とても悲しんでいる)

 ローゼだけが支えだと、いつも聞かされていた。
 イリーネが残した、たった一人の宝物だと。

 父の深い愛を感じることは嬉しいことのはずだ。それなのに、ローゼは心の裏側で寂しさを感じていた。

(どうして?)

 自分の感情が分からない。
 父からたくさん愛されているのに、どうして寂しいなどと思ってしまうのか。

「どうした、ローゼ?」

 優しく髪を撫でられて、ローゼは我に返った。

(わたしったら)

 ローゼはとたんに申し訳なくなる。ヴァルと一緒にいるのに、父親のことばかり考えてしまうなんて。

「ごめんなさい。少し、考え事をしていたんです」

「なにを考えていた?」

 ローゼは言葉に詰まる。返事をかえさないローゼになにを思ったのだろう、ヴァルはしばらく沈黙したあと、「下着を脱がそう」と言ってドレスの中に手を入れた。ローゼのショーツをするすると降ろしていく。

「ヴァル様?」

「脱いでおかないと風邪を引いてしまう。いや、こんな場所でおまえに触れてしまった俺が悪いんだが……本当にすまない」

「ごめんなさい、はしたないことを言ってしまいました」

「いや」

 ぎゅうっと強く抱きしめられて、ローゼの心臓が跳ねる。

「おまえを見つけられて、本当によかった」

 震えるような声が、ローゼのうなじに落ちる。そこへ愛しげに唇を押し当てられて、ローゼの胸が切なく痛んだ。

(ヴァル様が好き)

 もう自分をごまかすのは限界だった。熱く烈しいこの竜に、ローゼは生まれて初めての恋をしたのだ。

 けれど父親のことと、鱗がどうしても怖ろしいことが、ローゼの心にストップを掛ける。
 ヴァルの想いにこたえられない。そのことが、痛みと罪悪感になってローゼに重くのしかかった。

 翌日は定期市の日だった。父と叔父が訪れる日である。
 ローゼとヴァルは、朝早くから定期船を出迎えに行った。移動手段は馬だ。ヴァルの前に乗せてもらって、港まで向かう。

「馬車ではないの?」

「あれは確保が難しい。御者は子竜(こりゅう)の仕事なんだが、そもそも子竜の数が少ないからな。馬に直接乗った方が早い。お父上たちには、港に馬が置いてあるからそれに乗って頂く」

 本来ならヴァルが竜になって三人を運ぶのが一番早いのだろう。しかしローゼがいては無理な話だった。

 改めて思う。どうして自分は鱗がこんなに怖いのだろうと。

 蛇に噛まれたから。父親が大混乱に陥ったから。説明できる理由はある。けれどそれだけでは、この恐怖の深さに足りないような気がするのだ。
 底なしの暗闇に墜落していくような。

「ローゼ、会いたかったよ!」

 船のタラップからハンネスが駆け下りてきた。ローゼを両腕で力一杯抱きしめる。

「体の調子はどうだ? 生活に不便はないか?」

 ハンネスは目に涙をためてローゼを覗き込みながら、矢継ぎ早に質問する。ローゼは微笑みながらそれにひとつひとつ答えつつ、父の深い愛情に自身も涙ぐみそうになった。

「感動の再会はその辺にして」

 割り込んだのはレイだ。三つ揃えのスーツをきっちりと着込んだ彼は、ラフな笑みをヴァルに向ける。

「屋敷へお邪魔させてもらおうか。今日一日お世話になるよ、ヴァル殿」

 明るいうちはハンネスたちに街を紹介して回り、夕方からは屋敷でゆっくりと過ごした。家族の会話は尽きることなく、賑やかな晩餐会となった。

 女中らが腕によりをかけて作ってくれた料理であるが、もちろんローゼも手伝った。父と叔父はローゼの初めての手料理をとても喜んでくれた。

 互いの近況やローゼの暮らしぶりなどをひとしきり話し終えた後、ふと正面に座るハンネスが口を噤んだ。ナイフとフォークを持つ手が止まり、しかし彼の目はなにかを言いたげにローゼを見つめている。

 ローゼは胸をつかれた。きっと父は「まだ帰ってこないのか、いつ帰ってくるのか」ということを聞きたいに違いない。ローゼの楽しそうな暮らしぶりを見て、不安に駆られたのだろう。

(わたしのせいだわ)

 ローゼはテーブルの下でてのひらを握り込んだ。隣のヴァルが、心配そうに覗き込んでくる。

「ローゼ? 気分が悪いなら部屋へ休みにいくか?」

 その優しい声に、泣きたくなる。
 どっちつかずの自分が嫌になる。鱗だって克服できていないのに。
 ヴァルに、にあなたが好きですとさえ、伝えられていないのに。

 目の奥が熱い。涙が零れそうになって、ローゼはうつむいた。

「ローゼ」

 ヴァルの手がローゼの肩に置かれた、その時、斜め前の椅子から、誰かが立ち上がる音がした。そこに座っていたのは確か、レイだ。

「失礼、ヴァル殿。少しだけでいい、姪と二人で話をしたいのだが、構わないかな」

 一瞬、ヴァルの手に力がこもった気がした。しかしヴァルの声音は平静をだった。

「どうぞ。隣の部屋が空いている」

 レイに部屋へ促され、彼によって扉が閉められた時、ローゼは我慢ができなくなった。 立ちすくんだまま、両手で顔を覆ってぽろぽろと涙を零した。

「レイ叔父様。わたしは中途半端だわ」

 引き絞るようにそう打ち明ける。
 ヴァルのそばにいたい。
 けれど、鱗が怖くて触れるどころか見ることもできない。
 父親を一人、残しておけない。

「どうしたって大切な人を、傷つけてしまうんだわ」

「まったく。俺のかわいい姪っ子を、よってたかって追いつめて」

 レイはため息をついた。少しだけ腰を折って、ローゼを覗き込む。

「ほら、ローゼ。なにが一番つらい? 昔みたいに全部話してくれ。俺がなんとかするから」

 ローゼは両手をそろそろと外して、潤んだ視界にレイを映した。ハンネスの干渉が過ぎて、ローゼが辛い思いをした時に、いつも庇ってくれたのはレイだった。

 ローゼは涙につかえながら、レイにすべてを打ち明けた。ヴァルを好きになってしまったこと、ここで暮らしたいと思うようになったこと。それなのに父が気がかりなこと、鱗がまだ怖くて仕方のないことも。

「自分自身が情けないの。どうしてこんなにも鱗が怖いの、もう何年も前のことなのに」

「自分をそんなに責めなくていい。おまえは少しも悪くないんだから」

 零れ落ちる涙を、レイの指が拭う。

「そんなふうにたくさん泣かなくていいよ。体が参ってしまう」

「でも、止まらないの」

「よほどつらいんだな」

 レイはローゼの頭をそっと撫でた。

「自分の中にため込むクセは、小さい頃から変わらないな。おまえが心配でならない。数日だけでも帰ってくるか? 一度ここから離れたら心も落ち着くかもしれないぞ」

 ここを離れる。数日間だけ、ヴァルから離れる。
 ローゼはもう、それを想像することさえできないのだ。
 また涙が零れる。レイは痛ましげな表情になった。

「そんな風じゃ、心も体も参ってしまう。なあローゼ。夫婦っていうものは難しい。俺は結婚していないが、弁護士という職を通していろいろな夫婦を見てきた。一人の相手と添い遂げるんだ。良い時もあれば、悪い時もある。けれど愛する気持ちがあればたいていのことを乗り越えられる。乗り越えるためには、生半可な気持ちではダメだ。相手の欠点を丸ごと好きになるくらいの愛じゃないと。分かるか?」

「……はい」

「けれどローゼは二週間竜王と一緒にいて、まだ鱗を直視することもできず、父親のことも気になって仕方がない。これじゃあ家を出る前から、おまえの心は前に進んでいない」

「でもヴァル様を、もっと好きになってしまったわ」

「そうやって涙ばかり流すのはおかしいんだぞ。普通恋愛初期は幸せオーラ満載で、なにもしていなくてもついニヤけてしまうものだ」

 レイはわしゃわしゃとローゼの髪を撫でた。優しく笑う。

「おまえはまだ若い。まだまだいっぱい他の縁ができるさ。なにしろおまえは、俺の自慢の姪っ子だからな」

「他の、縁? そんなこと、もっと考えられないわ」

「恋は盲目ってやつだな。けれど今回は障害が手強すぎる。兄さんにはことあるごとにローゼをあきらめろと言っているんだが、最近はついに無視されるようになってしまったよ。ここは一発殴りとばしてみようかな。かわいい姪っ子を泣かせるなって」

「レイ叔父様が殴ったら、ヴァル様はともかくお父様は気絶してしまうわ」

 ローゼは泣き笑いのような表情になる。レイも笑いながら、いたずらっぽく言った。

「また二週間後、顔を見に来るよ。もしその時もまだおまえが泣いてばかりいたら、今度こそ問答無用で連れ帰るからな」