第四章
ハンネスとレイは、この日の最終便で帰っていった。ハンネスは去り際に、涙ぐみながらローゼをぎゅっと抱きしめたが、「帰ってこい」とはついに言わなかった。それがかえってローゼを切なくさせた。
その夜、ローゼは湯浴みを終えて、バルコニーから空を見ていた。今夜は満月だ。広い庭園が、青白い月光にきらきらと輝いている。けれどローゼの胸中は重苦しい不安に満ちていた。
(どうしてわたしはこんなに矛盾だらけなの)
考えても考えても、分からない。
きっと決定的な何かがあったはずなのだ。しかしそれを思い出せない。
決定的なできごと。鱗を怖がり、父の言うことに盲目的に従ってしまうようになった、できごとが。
ローゼはてすりに両手を置いた。春の空気は暖かいのに、どこかひんやりとしている。
「風邪を引くぞ、ローゼ」
振り返ると、ヴァルがバルコニーに出てきた。少し湿った赤銅色の髪が、明るい月光を弾いている。お風呂上がりだろうか。それでも彼の両腕にはきっちりと亜麻布が巻かれていた。
最近は、彼の声を聞くだけで、姿を目に止めるだけで、胸の奥がきゅっと痛む。
(こんなにも好きなのに)
どうして自分は、いつも別のものに心を引っ張られてしまうのか。
「ヴァル様」
ローゼは切なくなって、彼の胸板に手を伸ばした。そっと触れると、ヴァルはびくりと肩を震わせる。ローゼの手を慌ててつかんだ。
「駄目だローゼ。おまえから触れられたら鱗が出てしまう」
しかしローゼはもう片方の手で、彼の亜麻布に触れた。それからゆっくりとヴァルを見上げる。まだ彼の顔に鱗は出ていない。
月光をはね返す、強い碧玉の瞳。
彼は、確実にローゼを変えた。内側から少しずつ、ローゼの世界を変えたのだ。
(もっと変わりたい)
強くなりたい。
「わたしを抱いてください」
ヴァルが息を呑んだことが分かった。
うっすらと、彼の右頬に白銀の鱗が張り始める。
ローゼは恐れを噛み殺しながら、もう一度告げた。
「抱いてください、ヴァル様。わたしをヴァル様のものにしてください」
「ローゼ……?」
「あなたが好きです」
ヴァルがゆっくりと目を見開いた。
ローゼは自分のネグリジェに手を掛ける。ひとつひとつボタンを外し、腰紐を解いた。春の風が吹いて、ひらめいた薄衣の合わせから、艶めくような白い肌が現れる。ふっくらと盛り上がった胸や、細くなめらかな腰のラインに、ヴァルの強い視線を感じた。
「ローゼ……」
半ば茫然としたヴァルの右頬に、鱗がはっきりと浮き出てくる。男らしく整った彼の面差しに、繊細な紋様が刻まれていく。青白い月光の下で、それはむしろ美しかった。けれどローゼの視界はすぐに恐怖感で塗り潰されてしまうのだ。
震えそうになる足を叱咤して、ローゼは恐怖に耐えた。
大丈夫、しっかりするのよ。自分に言い聞かせながら、ローゼは唇を噛む。
ヴァルの手が伸ばされた。うなじに触れられて、ゆっくりと撫で下ろされる。開いたネグリジェをかき分けるようにして、片方の胸が大きなてのひらに包まれた。
「……っあ」
やわらかく揉みほぐされて、ローゼの肩が震えた。弾みで右肩に引っ掛かっていたネグリジェがずり落ちる。もとに戻す間もなく、白く光るその肌に彼の唇が落とされた。ヴァルの顔が見えなくなって、ローゼはとっさに安堵の息をつく。直後、熱く濡れた舌を這わされ、彼の吐息が触れたと思ったら、そっと噛まれた。
「ぁ、ん……っ」
力強い片腕に、腰を抱き寄せられる。ぐっと押しつけられた場所に、固く熱いなにかがあった。ローゼはびっくりして身を引こうとしたが、彼の力がそれを許してくれなかった。
「俺に抱かれるということは、ローゼ」
ヴァルの熱い舌が、肩からうなじを這い上がる。ぞくぞくと体内を走る官能は、胸の先を弄られることによってさらに煽られた。
「俺の妻になるということだ」
「っは、い……」
「生涯、俺のそばにいるということだ。父君のことはいいのか? 家の跡取りのことは?」
ヴァルの声音は、この上なく優しい。子どもに尋ねるようなゆっくりとした発音が、ローゼの鼓膜を揺さぶった。
そこへ舌が差し込まれていく。ちゅくちゅくと、濡れた熱に耳孔を舐られて、ローゼの下肢が甘く震えた。
「あ、ん……っ、ぁ」
「鱗のことは?」
「ご、ごめんなさ……、大丈夫、です、ちゃんと、わたし」
ヴァルの首に、腕を回す。
「わたし、ヴァル様とずっと一緒に……」
唇を奪われた。口唇を割って、ヴァルの舌が差し込まれる。とっさに奥へ下げた舌を、こすりつけるようにして絡め取られた。
「ん、ぅん……っ」
「っローゼ――」
は、と熱い息がローゼの唇に触れる。目を開けると彼の鱗が見えてしまうから、ローゼはぎゅっと目を閉じていた。
そんなことをしていては駄目だと、分かっているのに。
胸を愛撫していた彼の片手が、するりと滑り落ちた。なまめかしい輪郭を辿り、果実のような丸みを帯びたお尻を撫で回す。ネグリジェの内側でなされるいやらしい動きにローゼの瞳が潤んでいった。気持ちよさに力が抜けていくけれど、しっかりと腰に回された腕が支えてくれている。
両の太ももを後ろから割って、ヴァルの手首がねじ込まれた。媚肉のやわらかさを確かめるように揺らされたのち、指先で陰唇を割られる。
「あ……っ、ん、」
すでに湿りを帯びていることは、自分でも分かっていた。開かれた粘膜を、固い指の腹が愛でるように往復する。体内がとろけてしまいそうな、甘い快感に犯される。ぴちゃ、くちゃ、と淫らな音が零れ出た。
「ん、ん……、あ、ァ……っ」
たくましい腕の中に抱き込まれる。こめかみが彼の胸板に押しつけられた。体の自由は利かないけれど、それも心地よかった。束になった二本の指が、蜜口からゆっくりと押し込まれていく。
しんとした月夜だった。固く抱き込められ、二人の吐息と淫らな水音が静寂に絡みついていた。ただ静かに、ヴァルの右手がローゼの中を撫で続けていた。
「あ……ヴァル、さま……」
「ん?」
「もっと……奥、触ってくださ……」
「ああ」
彼の指が根元まで埋められていく。蜜でたっぷり潤った柔襞をこすり上げられる感触が、たまらないほど悦かった。
「ん……っ、ぁ、気持ち、いい、ヴァルさま……」
ひくんと喉が震えた。ローゼの髪に優しいキスが落ちる。それから彼の親指が、上の方にある粒に掛かった。それだけで、快楽の予感に襞がざわついた。
「ヴァル様、ヴァル様――、っあ、ん」
ぬるぬると転がされる。あふれ出る蜜によって、花芯は充分に潤っていた。撫でられ続けながら、束にした指を出し入れされて、ローゼの下腹の内側に、やわらかい快感が降り積もっていく。
ぷっくりと育った粒の側面を可愛がるように撫でこすられて、ローゼの足に力がこもった。びくびくと腰が震えて、砕けてしまいそうだ。腰を抱きしめていた彼の腕が、少しだけずりさがってネグリジェ越しにお尻をつかんだ。くっと上に軽くつかみ上げられる。ふっくらした媚肉が引き薄れて、さらに彼の長い指が奥へ押し込まれた。
ぐしゅりと掻き回される。やわらかい粘膜を押し広げられ、蜜を掻き出すように出し入れが繰り返された。
「だめ……っ、あ、もう……っ」
絹の靴下の中で、指先が開いたり閉じたりする。下腹の熱がふくれあがって、頭の中が白く弾けた。
「――ッ!」
愉悦に濡れる声は、唇ごとヴァルのてのひらに塞がれた。彼の腕の中で、ローゼの体が何度も跳ねた。達した膣肉が、きゅうきゅうとヴァルの指を締め付けて、奥へ奥へと吸い上げようとしているのが、ローゼにも分かった。
「ぅ、ん……っ」
塞がれた内側で呻くと、ヴァルの手が外された。同時にゆっくりと、中の指が引き抜かれていく。花芯をなで続けていた指も、そっと外された。
「ア……」
ローゼはあえかな吐息を漏らしながら、くたりとヴァルの腕に身を沈ませた。たくましい片腕は相変わらず、ローゼの体重などものともしないようだ。
唾液の零れた口もとを、ヴァルの指が拭ってくれる。ローゼはふと目を上げた。彼の片頬にくっきりと浮き出た鱗を見た時、ぞくりと鳥肌が立った。怖い、ただそれだけの感情が、すぐさま全身を支配した。
目をそらす。心臓がどくどくと脈打っていた。顔に出しては駄目だ、声に出すのはもっと駄目だ。
ついさっきまで、この腕の中で快楽に耽っていたのに。
(わたしはなんて、愚かなの)
またヴァルを傷つけてしまう。
大好きなのに。
彼の妻になると、伝えたばかりなのに。
(下肢を交わらせることが、本当の夫婦の閨事なのに)
下肢のどの部分なのかを、ローゼは知らない。けれど彼が差し入れたのは指だから、きっと違う。
ローゼは胸もとでぎゅっとてのひらを握り込んだ。
「ヴァル様」
震える唇を、やっと動かす。
「わたしを……、わたしを、最後まで、抱いてくださ」
その唇を、掬い上げるようにして口づけられた。目を見開くと、間近に碧玉の瞳。そして白銀の鱗があった。
「ローゼ」
一度離れた唇が、ローゼのまぶたにそっと押し当てられたから、ローゼは自然と両の目を閉じた。
優しく空気を震わせる低音が、耳を打つ。
「そんなことで、自分の想いを示そうとしなくてもいい」
ローゼは息を呑んだ。もう一度まぶたにキスが落ちて、それから胸の奥へ抱き込まれる。
「無理なんてしなくていい。それでなくてもおまえは頑張り屋なんだ。一生懸命にならなくていい。分かっているから」
大きな手で髪を撫でられる。それがどうしようもなく気持ちがいい。
「分かっているよ。おまえの言葉や、まなざしや、ちょっとした仕草で、ローゼの気持ちはちゃんと伝わっている。俺はいつも、おまえのことを見ているから分かるんだ。ローゼの想いはとても嬉しい。それを言葉で伝えてくれた。それだけでいい。だからこれから先は、二人で考えよう」
「ヴァル様……」
呼ぶ声に、涙が混じる。その先はもっと言葉にならなかった。すべて涙に呑まれてしまった。
ヴァルはローゼが落ち着くまで、辛抱強く抱きしめてくれていた。やがて春の風が冷たさを帯び始めたとき、彼はバルコニーから室内へ入り、寝台へローゼを横たえた。彼の頬からは、すでに鱗は消えていた。
ローゼにふとんを掛けてから、ヴァルは少し間を置いた後に言った。
「ネグリジェのボタンと腰紐は、自分で直しておいてくれ。明日の朝、迎えに来るから」
「えっ、どこかへ行かれるんですか?」
「いや、今夜は別の部屋で寝る」
「今夜は一緒に眠らないのですか?」
ローゼは寂しくなった。しかしヴァルは気まずそうな顔でせき払いをする。
「いろいろな事情がある。明日はまた一緒に寝よう」
「事情……?」
ローゼが首を傾げると、ヴァルは目をそらしてため息をついた。
「これでよく、抱いてほしいなどと……」
「え?」
「いや、なんでもない」
ヴァルは微笑みを取り戻したようだった。ローゼのひたいにキスを落として、甘く囁いた。
「おやすみ、ローゼ。いい夢を」