04 親対策も完璧とか

 それにしても、朝帰りである。
 伯爵家のご令嬢で、溺愛されて育てられたひとり娘が、生まれて初めての朝帰りである。

 昨日の付添人である叔母もふくめて、さぞかし大パニックになっていることだろうと、シュゼットは、戦々恐々としながら家に帰りついた。
 しかし、門番や家令の応対がいたって普通だったので、シュゼットは肩すかしを食ってしまう。両親は朝食室にいると聞いて、びくびくしながら顔を覗かせた。

「あら、おかえりなさいシュゼット。ずいぶんと早かったのね」

「昼ごろまであちらにいさせてもらうと聞いていたのだがな。どうだ、楽しかったか?」

 シュゼットはあぜんとした。
 年ごろの娘が朝帰りをしてきたというのに、こののんきなさまはなんだろう。
 気を取り直して、シュゼットは、両親に朝のあいさつを告げたあと探りを入れてみた。

「あの、お父さまとお母さまは、わたしが昨夜どこにいたのか知っているの?」

 すると、彼らはきょとんとした表情になって、

「ブルーイット侯爵さまのお屋敷だろう? もちろん知っているが」

「今度お礼をしないといけないわね。シュゼット、あなたお茶会をひらいてあちらの方をご招待しなさい」

「お礼……?!」

 婚姻前の娘の純潔を奪ってくれてありがとうということだろうか。そんなばかな。

「ねえ、待って。つまり、お茶会にフィンさまを呼べということ?」

 すると、両親はいぶかしげに眉をよせた。

「フィンさま? ああ、ご長男か。あのお方にも礼は必要だが、まずは姉君のほうだろう」

「そうよシュゼット。あなた昨夜、ブルーイット家のお嬢さまと仲よくなって、そのままあちらのお屋敷に泊まらせていただいたのでしょう? 昨夜、叔母さまが舞踏会のホールであなたを探していたところへフィンさんがやってきて、そう教えてくださったのよ」

「ええ?!」

「まったくおまえときたら、男性の誘いを断り続けたあげく、仲よくなった女性と抜けだすなど。おまえの結婚を心配している私たちの身にもなってくれ」

 実際は、結婚を飛び越えてとんでもない事態になっていたのだが。

「その作り話――ではなくて、説明は、フィンさまが?」

「ああ、そうだよ。叔母さまが言うには、ほれぼれするような美形で、もの腰もスマートな青年だそうだ。おまえにそういう夫ができればいいのだがなぁ」

「本当にそうねぇ」

「ええと……その話を、お父さまたちはまるっと全部信じたのよね?」

 両親はうなずいて、

「おまえの着ているそのドレスは、あちらのお嬢さまのものなんだろう?」

「そ、そうだけれど……」

「こんなにも上質なドレスをいただいてしまって。お返しも考えないといけないわね」

「そうだな、今度商人を呼ぶか。ああそうだ、数日後の舞踏会についてのことだが――」

 そうして両親は、別の話題に移りながら朝食に戻っていく。シュゼットは、ぼう然としたのちフラフラと自室に向かった。

(これは……あれだよね。フィンさまがうまくやったってことだよね)

 扉を閉めて、シュゼットはベッドに身を投げだしだ。

「疲れたー……」

 昨夜から、いろいろなことがありすぎた。
 あお向けに寝転ぶと、重だるさが全身にのしかかってくる。シーツにずぶずぶと体が沈み込んでいくようだ。

「お持ち帰りするのに、両親にも事前に手をまわしておくなんて。用意周到すぎだよ、フィンさま」

 名家の嫡男として、あとあと問題になることを避けたのか。それとも、シュゼットが困らないように配慮してくれたのか。

(どっちも、かな)

 どちらにしろ、手慣れていることは確かだ。
 シュゼットはため息をついた。寝返りをうって目を閉じる。
 ドレス姿で寝てしまったら、あとで母親に小言を言われてしまいそうだ。

(でも、もう限界……)

 昨夜から今朝にかけてのことは、事故に遭ったとでも思っておこう。早く忘れてしまうのが最善だ。
 眠りに引き込まれていく意識に、ふと、彼の声がよみがえった。

『またきみに会いたい』

 あれは、別れ際のお約束の言葉だ。もう彼と会うこともないだろう。
 どうしてかチクチクと痛む胸を抱えながら、シュゼットは眠りに落ちていった。

 しかし、シュゼットの予測はみごとにはずれることになる。
 夢もみないまま熟睡していたシュゼットを起こしにきたのは、混乱と、そして喜色に満ちた様子の両親だった。

「おいシュゼット、入るぞ!」

 ノックもそこそこに、父親のバーナードが扉を押しあけた。シュゼットは、その声にのそのそと上体を起こす。

「なあに、お父さま、お母さま」

「まあシュゼット、あなたそのような格好でお昼寝をするなんて」

「ごめんなさい、どうしても眠かったの。いま何時ごろ?」

「お小言はあとでいい。シュゼット、おまえにエスコートの申し出がきているぞ!」

 興奮した様子のバーナードの言葉に、シュゼットはいっきに目を覚ました。

「エスコートの申し出? だれから?」

 聞きながら、そして、まさかと思いながらも、脳裏にはひとりの青年の姿がよぎっていた。
 ベッドに腰かけた状態で、乱れた髪を直すこともできないくらいぼう然としながら、シュゼットは重ねて聞く。

「お父さま、どなたからなの?」

「いいか、シュゼット」

 バーナードは、シュゼットの目の前まで歩みよって両ひざをついた。シュゼットを覗き込むようにして、告げる。

「お相手は、私宛てに手紙を送ってきた。とてもていねいな文面で、おまえのエスコートの許可をもらいたいと書かれていたんだ。おまえも社交デビューを果たしたレディだ。このことの意味がわかるな?」

 心臓が、痛いくらいに鼓動している。
 シュゼットは、四十をすぎたばかりの父の、真剣な表情を見つめながらぎこちなくうなずいた。

「ええ、わかるわ、お父さま」

 シュゼットは慎重にうなずく。
 目あての令嬢の父親へまず伺いを立てることは、その娘に交際を申し込む上での定石だ。

「かねてから伝えているように、私たちはおまえに、だれよりも幸せな人生を送ってほしいと思っている。信頼のおける男性と結婚して、愛に包まれた家庭を築いてほしい。それが、私とレオノーラの願いだ」

 シュゼットは再度うなずいた。
 両親の思いは痛いほどわかっている。

 前世ですごした日本であれば、結婚だけが幸せじゃないと突っぱねることもできただろう。しかし、ここは日本ではないのだ。
 貴族の子女が目指すのは、自分よりも地位の高い男性との結婚である。それは、生活の安定と、周囲から奇異の目で見られないようにするために必要なことだった。

 だからこそ、両親の思いをシュゼットはむげにすることができずにいた。結婚する気がないということを、彼らに言い出せないままでいるのはそのためである。

(ロア家の次期当主には、分家の男子を養子に迎え入れればこと足りるわけだし)

 シュゼットが結婚しなくても、家がとだえることはない。
 けれど、両親はシュゼットの幸せを願ってくれているわけだから、それは問題ではないのだ。

 バーナードは、真剣な表情のまま続けた。

「私たちは、奥手なおまえを心配していた。本来なら、去年に社交界に出て結婚相手を探すはずだったのに、おまえはまだいやだと言った。しかたなくデビューを今年まで延ばしたが、そのあともおまえはパーティーには出たくないと言ってきかなかった。そんな状況のなか、昨夜にやっと、説得の末、おまえを舞踏会に送りだすことができた」

 結婚する気はないとはっきり言いだせなくとも、シュゼットは、どうしても社交パーティーに――男女を引きあわせるお見合いの場に行きたくなかった。両親には、心配ばかりかけている。

 ここまできたら、結婚する意思はないと、はっきり伝えたほうがいいのだろうか。
 シュゼットが思いあぐねていると、バーナードはさらに続けた。

「今回、おまえにエスコートの申し出をしたのは、条件だけを考えれば、結婚相手として申し分のない――いや、最上の相手だ。おまえは、いまのところ男女の交際に嫌悪感を持っているようだが、この話を逃す手はない。もちろん、いちばん尊重すべきはおまえ自身の気持ちではある。けれどやはり、昨夜、おまえをあの舞踏会に送りだして大正解だったよ。シュゼット、おまえは見初められたんだ。社交界で、不動の貴公子と呼ばれるほどの紳士に」

 その言葉だけで、手紙の主(ぬし)がだれなのかわかるというものだ。

「次の舞踏会は十日後だ。フィン・ブルーイット氏のエスコートを受けなさい」

 ――あのひとの、失恋を癒すためのお遊びはいつまで続くの。
 父親にあらがいきることもできず、シュゼットはうなずくしかなかった。